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いつか、桜の木の下で・・・(2)

 
 
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 寒かった冬もようやく終わりを告げ、多神ノ城にも、暖かい春が訪れていた。
桜の花がいっせいに花をつけた頃、菜春の婿として、入間義時が城へと迎え入れられていた。



 その日の朝、菜春は喧しく母の晶子に纏わりついて、離れようとしなかった。

「ねぇ、お母様。義時様は、いついらっしゃるの?」
「さぁ、そろそろついた頃だとは思うけど・・・」
「本当!?」
「あ、待ちなさい、菜春。走ってはいけません。転んでしまうわ」

 しかし、晶子の制止も聞かず、菜春は部屋を飛び出してしまった。

 義時様が来ている。そう考えるだけで、菜春は何だか心が騒いで、居ても立っても居られなくなった。城中をきょろきょろとさ迷って、菜春は何かに誘われたかのように、春の庭へとやってきていた。義時様、いるのかなぁ。どんなひとなんだろう。いつか見た夢みたいに、桜を見ていたりするのかなぁ。

 そうだ、桜だ。桜が咲いたんだ。見に行かないと。菜春は草履を鳴らしながら、パタパタと駆けた。

 そして、いつか見た桜の木の前で、菜春は立ち止まる。

 春の風に誘われて、ひらひらと薄紅の蝶が舞っていた。

「うっわー、綺麗・・・」
 菜春は吐息した。そのあまりの美しさに、菜春はしばし呆然となる。ふと菜春の頭の中に、秀太の言葉が蘇った。何事にも時機というものがあるのです。夏には青々としげり、秋には葉を落とし、冬に力を蓄えて・・・。

 目の前を優雅に舞っている、桜の花びら。ああ、これなんだ。菜春にも何だかそれがわかった様な気がした。秀太がいっていたのは、きっとこのことだったんだ。

 風に舞い上がる薄紅の花。地面を撫でて、そっと菜春の着物の裾を揺らしていった。寄り添うような、春の風。

 そして菜春は。いつか見た夢のように、桜の木の傍に立っていた、彼を見つける。

「だれ、そこにいるの」

 彼の白い着物の裾が、風に流されてはたはた揺れる。

「よしとき、様?」

 あの日見た夢だ。菜春は既見感のようなものを感じていた。あの日の夢と同じだ。彼が振り返る。そんな彼のことを、じっと見つめる。

「そう、だけど・・・。あんた、誰?」
「え、姫?姫ね、菜春」

 菜春の言葉に、義時は驚きの色を見せた。菜春のことを上から下まで眺めたあと、

「あんたが?」
「はい」
 
 菜春は、勢いよく頷いた。義時がふーんと呟いた。

「えーと、義時様、ですよね?」
「ああ、うん」
「始めまして。菜春と申します。長旅ご苦労様でした。以後、菜春のことをよろしくお願いします」

 菜春はぺこりと頭を下げた。義時は少し困ったような顔をして、それから、おずおずと菜春に笑みを差し出した。

「・・・こちらこそ、よろしく」

 義時が言った。菜春はその笑顔が好きになった。その笑顔を見た菜春の心も、春の風のように透き通っていった。
 
 そして、それが二人の出会いになった。

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 その時、義時の菜を呼びながら、走り寄ってくる者の姿があった。

「若、どうしたんですか?その子」

 まだ幼さの残る少年だった。年は義時と同じかそれより少し幼いくらい。クリンクリンに剃り上がった坊主頭。その両の瞳には、やんちゃそうな光が湛えられていた。彼は、その名を六助と言った。

「ああ、六助か。こちら、六助だ、姫。俺と一緒に入間から来た」

 義時が六助を指して、菜春に言った。

「始めまして」
「あ、始めまして。六助と申します。――若、誰なんですか?この子」
「菜春姫だよ」
「菜春姫?へー、この子が」

 そう呟くと、六助は菜春を値踏みするかのように眺めたあと、

「なかなか、可愛い子じゃないですか、若」
「ああ、まーな」
「あ、照れてますね、若」
「ば、照れてなんか」

 義時が赤くなったのを隠すようにそっぽ向いた。それを、六助がやいやいと囃し立てた。菜春は、そんな義時の姿を不思議な気分で眺めていた。この人が、菜春のお婿さんなんだ。

 そう思うと、なぜだか胸の奥のほうが、ほんのりと暖かくなった。それは、今まで菜春が感じたこともないような、そんな種類の感情だった。



 
 その時、菜春は自分の名前を呼ばれていることに気がついた。振り返ると、晶子を伴った安実の姿が、そこにはあった。

「菜春、こんなところにいたのか。おお、義時も一緒とは」

 菜春は、安実たちのところに駆けていった。安実の言葉に、菜春は義時の方を振り向いた。

 彼は地面に膝をついて、安実にむけて、深々と頭を下げていた。

「入間からはるばるこの城まで、長旅ご苦労じゃったな」

 安実がそう労うと、義時は今一度額(ぬか)づいた。再び顔を上げた義時の瞳には、毅然とも呼べる種類の光が湛えられていた。

「晶子様にはお初にお目にかかります。入間の義平の子、義時と申します。
 安実様や、晶子様や菜春姫、また安実様の大切な方々に出会うことができ、感激の極みでございます。何分山育ちなもので、多々至らぬ点はあるかもしれませぬが、なにとぞ宜しく願い申し上げまする」

 再度、義時は頭を衝いた。その姿に、晶子は「あらまぁ」と驚いて、安実は「なかなか礼儀正しいではないか」と感心していた。それを見て、菜春はまるで自分がほめられたかのような、そんな誇らしい気分になった。菜春のお婿さんが義時様でよかった、と心からそう思うことができたのだ。

 この時は、菜春は何も知らなかった。安実と義平の確執も、「お婿さん」の本当の意味も、何も、何も知らなかったのだ。

 このあと、大きな大きな歴史の歯車が、二人の仲を無残に引き裂こうとは、誰も、少なくとも菜春には、考えもつかない事だった。

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by sinsekaiheto | 2007-01-15 12:45