キミといた夏



あの日
あたしたちが見ていたものは
きっと、もうこの世にはないのだろう
あの
美しい夕焼けも
彼の
輝いていた横顔も
消えてしまった全ての物のために
あたしたちは
世界をつかむ

キミといた夏

❧                 ❦

 世界が、あのときから変わってしまった。
 
 じっくり考える暇も無く、あたしたちは中学生になり、高校生になり、彼はあたしの手の届かないところにいってしまった。
 
 けれど、追いかけようとも思わない。そこにあるのが、きっと自然で、彼には、誰よりもそこが似合うから。
 
 あたしは、真昼の明るく暑い世界の下を、歩いていた。蝉が、夏の暑さにやられたように、ぽとりと落ちた。ふと空を見上げると、どこよりも高いところに、くっきりと白く浮かぶ雲があった。アイスを食べながら、はしゃぐ子供たち。アスファルトに刻み込まれた、バイクの淡い影法師。あたしは街の中を、死と生の世界へと向かって歩いている。きっと、誰よりも深く、この風景を心に刻んで。

「よう!由希」

 彼のところへ行くと、彼はあたしの姿を見つけて、微笑んだ。あたしの心に、少しでも長く、元気な姿が刻まれるように。彼は必死に、笑顔を見せる。

 白と、死の世界の淵で、彼はひっそりとそれが来るのを待っていた。暇なときには、テレビを眺めて、それでも確実に近づいているそれに、怯えて、どうしようもなくなる感情を押し殺して、あたしに笑顔を見せてくれる。だから、あたしも答えなくてはいけないと、思ってしまう。明るく、元気に。

「ちゃんと生きてるか?芳雪」

 彼はへらっと気の抜けた笑みを見せた。それでとりあえずは安心することができるから。

「りんご、持ってきた。喰えるか?」

「ああ、喰う喰う。切って切って。腹減って、大変だったんだよ、本当」

 あたしは苦笑して、それでも彼のためにりんごを切ってやる。不器用に果物ナイフを動かして。それを眺める彼の笑顔はとてもいとおしい。この笑顔をいつまでもあたしのそばに残しておきたい、と強く思うのに、それはきっともう叶わない。勝ち目の無い恋をしてしまった。自分を傷つけるためだけの、悲しい恋を。

「由希ってさ、不器用だよね」

「うるさい」

 彼はあたしに怒られると、嬉しそうに目を細めた。

「なぁ・・・」

「何・・・」

 あたしが聞くと、彼は一瞬困ったような表情をして、そして「やっぱ、いいや」と明るく言った。

 テレビをつける。最近流行りだしてきたピン芸人がねたを見せていた。観客が沸いた。彼も隣でおかしそうに笑っている。「こいつ、サイコー」そう言って、腹を抱える。あたしは隣で、苦笑していた。

 二時間ぐらい、そうやってまた時間をつぶした。そうやっている間、彼はずっとあたしの髪の毛を撫でていた。「由希の髪の毛って、さらさらしてるのな」そんなことを言っていた。

 帰る時間が来て、あたしは立ち上がった。

「そろそろ、帰るな」

 そういうと、彼はすごく寂しそうな表情を見せ、すぐにそれをパッと消して、あたしを見て手を振った。

「おう!ばいばい。また明日も来てくれるのか?」

「ああ、行くよ」

 なんだよ、やっぱ寂しいんじゃないか。素直じゃないなぁ。あたしはそんなことを思った。

 あたしは、彼の部屋を後にして、また、家に帰るために明るくて暑い世界の下をとぼとぼ歩いた。どこまでも続く青空を、淡く飛散しつつある飛行機雲が彩っていた。

 世界が、あのときから変わってしまった。
 追いかけようとも、もう思わない。
 それぐらい、あたしと彼の距離は遠くて、それでも必死に手を伸ばしたら、すぐにでも消えてしまいそうだから。
 あたしは、必死に作り笑いを浮かべている。
 ちょうど、彼がそうしてくれたときのように。



❧                 ❦

 時間は戻ってきてくれないのだということを、あたしは誰よりも強く知っている。時間が決して連続していないと言うことも。いや、むしろ時間はあらゆるところでぶちぶち切れて、捻じ曲がり螺旋模様を描きながら、それでもあたしたちをどこかへと連れて行くのである。

 三段アイスを買ってもらえば、それだけで機嫌が良くなった夏は、もうあたしの中にはいない。あたしたちは、それと引き換えに何を手に入れたのだろうとふと考えた。もしどうしようもないくらい辛くて悲しい気持ちになったとしても、あたしはもう、その気持ちと折り合いをつけることができるようになってしまった。それは多分、「諦める」という感情にとても似ている。

 いつものように、お昼を過ぎたら彼のところに行くことにした。夏休みも、もう数えるぐらいしか残っていない。あたしは、小学生だった頃のことを思い出した。あの頃は、夏休みの最後の日が近づくたびに、学校に行きたくない、とうるさく騒いでいたものだった。でも、今はもう、そんな風な子供でもない。時間は連続していないのだ。あの頃のあたしはもう、どこにもいない。

 彼の部屋に着くと、彼はテレビゲームをして遊んでいた。身体を半分ベッドから起こして、点滴の針は刺さったままで。昔の彼の面影も、やっぱり少しずつ揺らいでいって、少しずつ消えていくのであった。

「起きてて大丈夫なの?」

 あたしは思わず、そう聞いていた。

「ああ、今日はだいぶ調子が良いからさ」

 格闘ゲームだ。彼が負けてしまったのだろう。You lose.の文字が画面を躍った。「あーあ、負けちまった」と呟いて、彼はコントローラーをベッドの上に放りだした。

「下手くそ」

「お前が話しかけたからだぞ。いいとこだったのに」

 彼は悔しそうに握りこぶしを作って、すぐにそれを解いた。そして、悲しそうに笑った。点滴が刺さったままの腕が、妙に白くて、痛々しかった。それでも、あたしは目を逸らすことができなかった。彼の全てを受け入れよう。彼の全てをこの瞳に刻みつけよう。あたしは必死だったのだ。

 彼が何かを思い出したように、ポツリと呟いた。

「なあ、由希」

「うん?」

「俺が死んだらさ、お前、悲しんでくれる?」

「何言ってんのよ・・・そんなこと・・・」

 あたしは必死で言葉を探した。彼に何かを伝えなくてはいけない。そう思うのだけど、何も言葉は浮かんでこなくて、代わりに涙が零れ落ちそうになった。彼の前で泣くのは嫌だったので、あたしはまた必死で我慢しなければいけない。泣いたぐらいじゃ、彼が戻ってはこないことも、知っている。それでも、彼の口から「死ぬ」なんて言葉を聞いてしまったら、もうどうしようもないぐらい悲しくて、泣きたくなって、でも彼の前で弱いところを見せるのはもっと嫌で、あたしは握りこぶしを固めて、必死に泣くまいと努力して、立ちすくむことしかできなかったのだ。

 だから、必死の笑みを浮かべて、

「いいよ、悲しんであげる」

 彼も笑った。それは心のそこからの笑みだったように、あたしは思った。

「ありがとな」

 病室の薄暗い部屋の中に、彼の言葉が響く。いま、この部屋には、彼とあたしとしかいない。だから、抱きしめたいと思うのに、それは絶対に叶わなくて、悲しくて、また泣きそうになって、そっと彼の小さな掌に自分の掌を重ね合わせて、「うん」と頷いた。「ありがとな」「うん」それを、忘れないように、頭の中で繰り返した。

「由希、俺、お前のことが好きだよ」
「知ってるよ」

 あたしも、あんたのことが好き。

 やっぱりその言葉は涙声になってしまって、最後まで言うことができなかった。

❧                 ❦

 いつの間にか、彼のベッドに突っ伏したまま、眠ってしまったのだろう。時計の針は六時を回って、窓の外には、どこまでも透き通った夕焼けが広がっていた。彼は食い入るようにそれを見つめて、あたしが起きたことにも気付いていない様子だった。

「何してるの?」

「いや、きれいだな、って思って」

 あたしは立ち上がって、窓のところのカーテンを広げてやった。見える範囲が広くなった。

「サンキュー」

「おう」

 それだけ話すと、暫くは何もいわずに、二人でずっと窓の外に広がる夕焼けを見ていた。原色よりも、美しい夕焼け。ここだけにしかない、二人だけの宝物のような気がしてくる。それでも、少しずつ消えていってしまうのが、なんだか悲しかった。そして、やっぱりそういうものなんだな。と、そう思えるようにもなった。

「あんたに会えて、よかった」

「うん、なんで?」

「さあ、考えてごらん」

 彼には、一つの宿題を与えることにした。二人で過ごす最初で最後の夏休み。夏休みに、きっと宿題はつきものだから。

「もう、帰るね。お母さんと約束があるから」

「ふーん、どこかに行くんだ」

「そうだよ」

 あたしは、そういって、病室を後にした。

 駐輪所に置いてあった自転車に飛び乗って、あたしはデパートへの道へと自転車を走らせた。

 一つの嘘を残して、あたしは彼のもとを去る。彼がそれに気付くことは、きっと無いだろう。でも、それでも良いと、あたしは思った。それでもいい。あたしの中には、ずっと彼がいるのだから、それでも良いと思えたのだ。

❧                 ❦

 その日、あたしは彼のために、お小遣いを全て使って、銀色の十字架のネックレスを買った。それを渡せるかどうかはわからないけど、でもきっと、あたしの願いは叶う気がする。こんなにも、小さな願い事なのだから。だから、きっと、必ず。

 もうすぐ、彼の誕生日がやってくる。
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by sinsekaiheto | 2007-01-12 12:36 | 小説