あの向こうに

 
 新しい小説ができたんで、載せますね。


あの向こうに



少年は待っていた。


部屋の隅に置いたトケイから響くコチコチという音を聞きながら、少女の眠るベッドの端に腰掛けて。

少年は待っていた。


少女もまた、待っていた。



                                              

時計のコチコチと、自分自身とを重ね合わせて、そっと息を吐き出しながら。


朝の日差しに、眩しそうに目を細め、鳥の囀りを聞きながら。

少女はゆっくりと、その時が来るのを待っていた。



「お兄ちゃん」


少女のうわ言は、弱々しい冷蔵庫の音にすら、かき消される。

少女は夢を見ている。

目を覚ましたら、少女は消えてしまった夢の断片を追いかけるように、再び、そっと目を閉じる。



しゅーしゅー、とヤカンが頻りに湯気を吐き出す。少年はその冷たい旋律に耳を澄ました。

目を閉じた。

腕を組んでから、深いため息を吐き出した。


カップの中にちょうど沸騰したばかりのお湯を注ぎ込んだ。

ふわりと、レモンの芳しい匂いが広がった。

少年は、少女のもとへとそれを運ぶ。


「麻美、起きてるか?」

少女はもそもそとベッドの中から返事を返す。

「・・・うん。起きてるよ」

「レモン汁、持ってきた。飲めるか?」

「うん。ありがとう。・・・飲むよ」

礼を言って、少女は少年から差し出されたカップを受け取った。

少女はぼんやりとカップの中を踊る淡い黄色を眺めていた。


「ねぇ、お兄ちゃん。今は、何時なのかなぁ」

カップの淵からそっとレモン汁に口をつけて、少女が尋ねる。

「今は、夕方の五時だよ。ほら、夕陽が沈んだ。空が、真っ赤に染まっている。見えるか?」

少女は、窓の向こうに眼をやった。


少し考えるような素振りを見せて、少女はふるふると首を振った。

「見えないや」

少女の声は、残念そうな響きだった。

今、少女の目には、夕陽の赤は映っていない。

レモン汁の黄色も、

大空の青も、

草原の緑も、

何も、何も。

彼女の目は、少しずつ、色を失い始めていた。


「ねぇ、お兄ちゃん」

少女は、少年の名を呼んだ。

少年は、少女の髪の毛を、そっと撫でた。

長くて、黒くて、きれいな髪の毛であった。


「私は、いつ、死ぬのかな」


少女の瞳に、何か暗いものが、翳る。

それを拭い去ることは、少女にも、少年にも、できなかった。


「私の場合は、一体、いつになるのかな」


それは、決められたことである。

巡り、廻っていることである。

少女の次には、確実に、それは少年に襲い掛かる。

世界は、今、崩壊の道を一歩一歩、歩んでいる。


「大丈夫だよ。大丈夫だから」


少年は、少女の髪の毛をそっと掻き分けながら、まるで、自分に言い聞かせるように、そう、呟く。

彼の声は、冷たい部屋の中に、溶けて、なくなる。


部屋の外には、死の世界が広がっている。だから、彼らは、一歩も部屋の外へと出られないのだ。



彼らは、この部屋の中で生まれ、そして、この部屋の中で、死んでいく。


「耳がさ、聞こえづらいんだ。最近。俺も、そろそろだと思う」


その先にあるものを、少年は知らない。

それでも、少しずつ近づいていく。


「麻美・・・、外に出てみようか」


少年は、そう決意する。


少女のために。そして、自分のために。


外に出ることを、決意する。


「お兄ちゃん・・・、大丈夫かな?」


「わからないよ。・・・大丈夫じゃないかも、知れない」


それでも、彼らは外に出る。



「あたしの目が、完全に見えなくなる前に、だよね」


「うん」


少年は、頷く。

そして、彼の耳が、まだ、聞こえているうちに。


「行こう」



少女はベッドの上から起き上がって、ふらふらになりながらも、歩き始める。


彼らは、扉を開ける。


外の世界につながる、扉だった。


その昔、死の灰がばら撒かれた、・・・世界だった。


かつての太陽の面影はそこにはなく、今はただ、暗黒色の丸い塊が、禍々しい光を放っているだけであった。


「白と、黒の世界だね」

少女が呟く。


「ああ。・・・すごく、静かだ」


少年の呟きは、闇の中に溶けていった。


二人の少年と少女が見ているのは、現実だった。


モノクロの世界と、無音の世界だった。


人間の残した、最高で最大の、遺物だった。



「ここで死ぬのも、悪くない、かな?」


影も、光も。

生も、死も。


「・・・うん」


二人は、どちらからともなく、手をつなぐ。


少女のほほを、一筋の涙が、伝って落ちる。


この世界で生きていることの意味は、こんなにも、小さいのだ。


少年は、太陽に向かった。


少女は、少年に寄り添って。


二人は、そのときが来るのを、じっと、静かに、待っていた。



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by sinsekaiheto | 2007-01-25 12:43 | 小説