2007年 01月 14日 ( 1 )

いつか、桜の木の下で・・・(1)




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 桜が散ったら、もう会えなくなっちゃうのかな。
 
今年も、桜は見事に咲いた。
 満開だよ、義時様。
 桜の花びらを手で掬い、空に放り投げるたび、悲しい気持ちでいっぱいになる。

 今年も桜は咲きました。来年も、桜はきっと咲くことでしょう。菜春はその時をずっと待っています。
 あなたを思って、ずっとずっと待っています。

 いつか、桜の木の下で・・・


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 1

冬の寒さが一段と厳しくなった頃、菜春は父である金沢安実(かねさわのやすざね)に呼び出されていた。

「菜春。お前に婿が決まったぞ」

 何の前触れもなく、安実は菜春にそう言った。

「ほよ?婿?」
 菜春は、首をかしげた。その時の菜春はまだ幼くて、婿という言葉の意味がよくわかっていなかったのだ。

 格子を開ければ、白い雪の散らばる庭が見えた。多神ノ城は本国でも一番大きなお城である。菜春は、城主である安実の一人娘で、このとき、まだ六歳になったばかりであった。

「あのね、菜春。お婿さんっているのは、一生を一緒に支えあいながら生きていく人のことを言うのよ」
 菜春の母である晶子が言った。

「・・・一生を一緒に支えあって生きていく人?」

 菜春は、少しの間考え込んだ。一生を一緒に支えあって生きていく人・・・。ああ、そうか。

「お父様とお母様のような人のことを言うのね」

 菜春がそういうと、安実は少し驚いた顔をして、それから豪快な笑みを顔に浮かべた。

「ああ、まあそんな感じだ」
 
 菜春は、初めてお婿さんという言葉を知って、自分にもそのお婿さんができると聞いて、何だか嬉しい気分になった。早くその人に会いたいな、と菜春は思った。

「ねぇ、お父様。その方はなんておっしゃる方なの?」
 菜春は、安実にそう尋ねた。
「ああ、入間義時というものじゃ」

「よしとき・・・?」

 どんな人なのかな。格好よかったり、するのかな。優しい人だったら、いいな。菜春は、まだ見ぬお婿様に思いを馳せて、なんとなく楽しい気持ちになった。

「ねぇ、お父様。菜春、早くその人に会いたいな。ねぇ、いつ会えるかな、いつ・・・」
「まあまあ、菜春や。そう焦らずとも、婿は逃げまい」

 白い雪のちらつく広い庭。安実はチラッと格子窓の外に広がる庭へと視線をやった。外の世界には、白い冬が広がっている。

「桜の花が、咲いたらな」
 安実がぽつりと言った。菜春は「桜・・・」と口の中で小さく繰り返して、たたた、と窓際まで駆けて行った。

 庭には、丸裸にされた桜の木々が植わっていた。花の気配はそこにはなくて、ただ冷たい白が横たわっているだけだった。それを見て菜春は少し落胆した。ああ、まだ春は遠いや。窓の隙間を通り抜けてきた風が、菜春の吐息を白く染めた。

 晶子がするすると菜春の隣まで擦り寄ってきて、彼女の小さな肩に手を置いた。菜春は、不思議そうな瞳で晶子を見上げた。晶子も、菜春と同じように、ずっと庭を見ているのであった。

 その時の晶子の瞳が忘れられない。きりりとした横顔に、黒い陰が落とされていた。

 その時の菜春には、まだ晶子の表情の意味はわからなかった。彼女がそれに気付くのは、もう少し、先のことになる。

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 次の日の晩、菜春は不思議な夢を見た。
 初めは、いつもの夢のようだった。目の前に白い光が見えていて、菜春はゆっくり、その光に向かって降りていった。

 あたりはもう、菜春が何も知らない場所だった。遠くのほうに、扉が見えた。部屋のしきりに使われている、襖障子だった。日光を遮って、明るく、白く輝いている。

 菜春は、ほとんど何も考えずに、その光のさすほうへと向かって歩いていった。体がふわふわと浮かんできるような気がする。これは夢だ、と菜春にはわかっていた。けれど、それが現実で起こることだと言うこともまた、菜春にはわかっているのであった。

 菜春は、夢の中で扉を開けた。外には、光の世界が広がっていた。扉を開けたそのとたん、温かい風が吹いてきて、菜春の長い黒髪を踊らせた。あまりの眩さに、菜春は思わず目をつぶった。けれど、恐る恐る目を開いた次の瞬間、菜春は目の前の光景の、その幻想的な美しさに目を奪われていた。

 菜春は、小さくと息を漏らす。光の世界だ。桜の大木。春の風に舞う、花吹雪。そして、立っている彼。

「だれ、そこにいるの」

 彼の白い着物の裾が、風に吹かれてはたはたと揺れていた。

「よしとき、様?」

 彼が振り返る。菜春は、そんな彼のことをじっと見つめる。まだ若いな、と菜春は思う。私よりは年上だけど、でも「大人」ではない。おそらく、十歳か十一歳か、どうなんだろう。菜春は、首をかしげていた。

 そんな菜春を見て。彼が微笑む。

「始めまして、菜春姫」

 菜春は、思わず息を呑んだ。すっと差し出されたその笑顔は美しいのに、白い靄がかかったように揺れていた。ぶわっと一際強い風が吹き、菜春は腕で目を覆った。桜の花びらが空高くへと舞い上がる。菜春が再び目を開けたとき、彼はもう既にそこにはいなかった。まるで、桜の花びらに混じって飛ばされてしまったかのように。まるで、初めからそこにいなかったかのように、消えて、いなくなってしまっていた。

「・・・よしときさま?」

 後には、菜春と地面を舞い踊る花びらだけが残されていた。

❀           ❀

 城の中での菜春のお気に入りの場所と言えば、厨と厩であった。

 夜中に小腹が減ったときなどにはそっと厨に忍び込んで、食べ物をくすねることもしばしばあった。白の厨女たちは大体において親切で、食べ物をくすねたことも黙認してくれていたので、菜春は彼らのことが好きだった。また、厨女たちの拵えた料理は皆、舌がとろけるほどに美味かった。

 そうして、もう一つのお気に入りの場所が、厩である。

 冬の名残を引きずりながらも、少しずつ春が近づいてきて、鋭かった冷気を次第に丸みを帯び始めた。菜春は昼を少し過ぎた頃に、部屋を抜け出して厩へ向かった。小姓の秀太と話がしたかったからであった。

「秀太!」

 赤毛の馬の背を藁束で擦っていた秀太は、菜春の大声に手を止めた。秀太は菜春の姿を認めると、いつもの笑みを顔に浮かべた。菜春は、秀太のもとへと駆けて行った。周りの小姓に「また仕事が遅れる」と露骨に顔をしかめる者もいたが、菜春はそれを気に留めなかった。

「あのね、あのね、菜春にもね、お婿さんができたんだって」

 菜春は嬉しそうに秀太にそう報告した。秀太は優しい笑み浮かべたまま、手に持っていた藁束を、馬の背中にゆっくりと走らせた。

「良かったですね、姫」
「うん」

 菜春は、満面の笑みを浮かべて、頷いた。秀太は、一緒にいると安心できる数少ない「大人」の一人であった。秀太は菜春の菜春の三倍以上も「大人」なのに、菜春のことを決して子ども扱いしなかった。にへらにへらと含みのある笑いもしなければ、ほかの厩の武士たちのように、突然の悪意を菜春に向けることもない。いつも丁寧な物腰で、優しい笑みを浮かべているのだ。

「でもね菜春、お婿さんって言うのがどういうものなのか、まだよくわかっていないの」

 秀太は一つ頷くと、手に持っていた藁束を休めて、「難しい問題ですね」と呟いた。

「私も、まだ結婚というものをしたことがありませぬから、詳しいことを姫にお教えすることはできませぬが、でも一ついえることといえば、そうですね。その人とは、すっと一緒に支えあいながら生きていく、ということです」
「・・・支えあいながら、ずっと一緒に・・・」
 
 菜春は、呟いた。お母様がおっしゃっていた言葉と、同じだ。

「そうです。支えあいながら、と言うのが一番大切で、それでいて難しいことなのです。人は誰でも、一人では生きていけませんから」

 だれでも、一人では生きていけない。その言葉は、強く菜春の心の中に刻み込まれていった。

「菜春、ちゃんと義時様と仲良くなれるかなぁ・・・」
「なれますとも。姫なら、ちゃんと、その方と仲良くなれますよ」

 そんな風にのんびりと頷いて、秀太は手に持っていた藁束を、再びゆっくりと動かし始めた。背を撫でられた赤毛の馬は、気持ちよさげに鼻を鳴らした。

 菜春は、ぼんやりと秀太の仕事を眺めいた。どんよりとした空気の流れ。かすかに漂う、馬糞の匂いも菜春にはそれほど気にならなかった。(着物に匂いが染み付いてしまうことがあり、そのことにはしばしば閉口したが)そんなことが気にならないくらい、菜春はこの場所のことを気に入っていた。そこに流れる独特なのんびりとした雰囲気が、何よりも菜春は好きだったのだ。


「ねぇ、桜って、まだ咲かないのかなぁ」

 ふと安実の言葉を思い出した菜春は、秀太にそう尋ねていた。
 秀太は、菜春の脈絡のない話にも、辛抱強く付き合ってくれていた。

「あと少しです。桜が咲くのは、もう少し暖かくなってから」
「どうしてぇ?」

 菜春がそう尋ねると、秀太は手を止めて、少し考えるような素振りを見せた。

「何事にも、時機というものがあるのです。桜も同じ。夏には青々としげり、秋に葉を落とし、冬に力を蓄えて、春に見事な花を咲かせるのです」

 そういって、秀太は厩の窓の外へと目をやった。菜春もつられて窓の向こうに目を向ける。裸に剥かれた桜の木々と、それを彩る、白い妖精。

「桜の木々は、今、力を蓄えているのです。より大きく、より美しく、より繊細な花を咲かせるために」

 そこで、自分の言葉を味わうかのように、秀太はいったん言葉を切った。

「それは、とても大切な仕事なのです。たから、焦ってはいけません。大丈夫。桜は咲きます。十年後も二十年後も、我々が生き続けるかぎり、桜は必ず花開きます。だから、待てますよね、菜春姫」

「・・・わかった。菜春、待つ」

 菜春は、そう強く頷いた。
 それを見ていた秀太は微笑んで、

「菜春姫・・・」
「なぁに?」
「幸せに、なってくださいね」
「・・・うん」

 少女は頷いた。顔を上げた時、少女の顔には、満面の笑みが浮かんでいた。

 


 そして、この地にも春がやってくる。

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by sinsekaiheto | 2007-01-14 15:56 | 小説