2007年 01月 17日 ( 1 )

いつか、桜の木の下で・・・(4)

 
 
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 多神ノ城にも、春がやってきていた。
 芽吹き始めた新緑に誘われるように、菜春は春の庭に降り立っていた。
 
 頬にぶつかってくる乾いた風が仄かに温かくて、心地がよい。春の風はまるで戯れ遊ぶかの ように、菜春の髪をそっと梳いていった。菜春は顔を上げて、桜の枝越しに空を見上げていた。どこまでも続く、壮大な青の中に、ぽっかりと白い花が咲いていた。

 多神ノ城の桜が咲けば、義時様がこの城に来て一年がたったことになる。


 菜春は、春という季節が好きだった。吹いてくる風が孕ませた春の匂い。菜春は、すがすがしい気分になった。

 菜春は、両手を大きく広げて、春の風と戯れるかのように舞を踊った。風を、頬に感じる。体が、自然と動き出していた。気持ちがよかった。体が覚えている舞の形をなぞっていくうちに、菜春はのびのびとした気持ちになっていく。

 最近、城の中の空気が妙にぴりぴりしていることに、菜春もうすうす感づいていた。晶子の菜春を見つめる表情に、哀れみのようなものが混じり始めていたのだった。そのうち晶子は、菜春が義時の姿を求めるたびに、少しずつ苛立ちを顕にするようになった。安実に至っては、菜春と目をあわそうともしなくなっていた。

 そんな城の緊張に義時も気がついたのか、日を追うごとに笑顔が少なくっていって、仕舞いには作り笑いさえ浮かべるようになった。

 菜春は、そのことを恐れ、怯えるようになった。菜春にも、見えない闇が次第に近づいてきていることが、わかっていたのだ。いつしか、その闇の中にとらわれて、押しつぶされるのではないのか、という恐怖が、菜春の心を支配するようになった。


 いま、菜春はその一切から解放されて、無心に舞いを踊っている。春の風を浴びに外へでるときだけは、菜春も全てを忘れて、童心に返ることができるのだった。

 一通り舞が終わると、拍手の音がぱらぱらと響いた。振り返ると、そこには義時が立っていた。

「不思議な舞だな。でも、美しい」
 義時が言った。菜春は、頬を朱色に染めて、小さくコクリと頷いた。
「お母様に、教えてもらったの」
「そうか。・・・いい舞だ」

 義時は、菜春の傍の桜の根元に腰を下ろした。菜春も、義時の隣に腰を下ろして、二人は肩を寄せ合った。

「桜が咲いたら、義時様がこの城に来て一年になるね」
「ああ、そうだな」
 
 義時は、頷いた。

「最近、よく夢を見るんだ」
「夢?どんな夢?」

「入間に、帰る夢。そこにはちゃんと父上も母上もいて、温かく迎えてくれるんだ」
「・・・・・・・」

 義時が見つめているこの青空はきっと入間まで続いていることなのだろう。菜春は、義時と同じ空を眺めながら、義時様にとって、入間に帰れるということはどれだけ幸せなことなのだろうか、と考えた。必死に必死に考えたけど、答えらしいものは何一つ、菜春の中に浮かんでくることはなかったのだった。

「やっぱり、義時様はこの城のこと、嫌い・・・だよね」

 そう言うと、義時は驚いた表情を顔に浮かべて、それから菜春に向けてにっこりと微笑んだ。

「そんなことはない。菜春。俺はこの城のことがけっこう好きだよ。厨女たちの料理は美味いし、人はすごく親切だし。・・・それに何より、姫に出会うことができた」

 けれど、嬉しいはずのその言葉でも、菜春の胸には響かずにいた。菜春には、そのことを素直に喜ぶことが、できなかったのだ。

「でも、義時様は、入間に帰りたいんでしょう?」
「ああ、だけど、その時はちゃんと、姫も入間に連れて行く」
「本当?」
「ああ。約束する」

 義時は、花が咲いたような笑顔を浮かべる。

「約束だからね。絶対、絶対、約束だからね」
「ああ。約束だ」

 義時は立ち上がって、菜春の方を振向いて言った。

「菜春、さっきの舞、もう一度見せてくれないか?」

 菜春は、大きく頷いた。

「はい」

 菜春は、舞を踊り始める。二人の少年と少女の間には、柔らかい春の木漏れ日が輝いていた。

❀           ❀

 呼び出された晶子は、目を瞑って暗い顔をしている安実を一目見て、最悪の事態が現実と化したことを悟ったのだった。

「安実殿・・・」

 晶子がそう声をかけても、安実は顔を上げなかった。安実は顔を俯けたまま、感情の籠らない声色で淡々と、

「昨日、兼平から、義平を討った、との報が入った」
「・・・・・・・そうですか」

 目を見開いた安実の顔には、べったりと暗い影が張り付いていた。

 春の庭に降り立って、菜春の隣、仲睦まじく寄り添う義時の姿を眺めながら、ポツリと晶子は呟いた。

「あの子は、どんな風に思うのでしょうか。自分の父親が、もうこの世にいないことというを知れば・・・」
 
 安実は、ずっと黙り込んだままだった。晶子はたまらなくなった。その沈黙は、晶子にとって何より重たいものだった。

「義時殿はもう立派に菜春の婿故、この城にとってもこの国にとっても、決して欠けてはならぬものなのだ、とそう皆に伝えれば良いではありませぬか」
「・・・いや、それでは駄目なのだ」
 安実は、言った。
「それでは、御家人どもが黙っておらん。義時にとって、わしは父の敵。周りの者は、こう騒ぎ立てるだろう。父の敵を殺せ、とな」

 安実は、顔を俯けたままだった。沈黙に耐え切れなくなったのか、安実は逃げ出そうとするかのように立ち上がった。部屋を出る直前、安実は晶子のほうを振り向いて、

「一年前、この城に義時を迎えたときから、こうなることは既にわかっていた。もう、決まっていたことじゃ。わしは、義時を亡き者にする」

 そういい残して、安実は部屋から立ち去った。

「安実殿・・・。あなたは本当にそれでよかったのでしょうか・・・」

 晶子は呟いた。彼女の呟きは、誰もいない部屋の中に、一つ孤独に沈んでいった。

❀           ❀

 暗い闇がもうそこまで近づいていた。
 桜の下で舞を踊っている娘の姿を見ていると、晶子は胸がずきりと痛むのを感じた。
 
 菜春は、果たして「お婿さん」の本当の意味を知っているのだろうか。晶子は、自分のこの幼い娘のことが不憫に思えて仕方がなかった。

 子どものことだから、と甘く考えていた自分がいけなかった。たとえ児戯に等しい恋だとしても、二人を引き合わせるべきではなかったのだ。

 動き出した歯車は、確実に菜春と義時の仲を引き裂こうとしていた。一度動き出した歯車は、もう誰にも止められない。今はもう、誰にも。

 全てを話そう。ふと晶子はそう思った。菜春に、全てを話すのだ。そして、あの二人に賭けて見よう。晶子に残された道は、ただそれだけだったのだ。


 菜春を取り巻いていた形のない闇は、今ようやくその姿を現して、彼女に牙を剥き襲い掛かろうとしていた。

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by sinsekaiheto | 2007-01-17 20:03