2007年 01月 19日 ( 1 )

いつか、桜の木の下で・・・(終)


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 6

 菜春と別れた後の義時は、すぐに城の裏手で待機していた六助と合流して、城の裏門へと走り出した。

「直日が暮れる。急ぐぞ」

 義時は六助に言った。城は広い。日が暮れて、闇の中に紛れて森を突っ切れば、なんとか逃げ延びることができるのではないか、という考えが義時にはあった。

 走りながら、義時の頭の中では様々なことが忙しなく駆け巡っていた。父のことが頭に浮かんだ。義平が討たれたという事実を、義時はまだ上手く整理できないでいた。菜春の顔も頭の中に浮かんできた。彼女との別れを悲しんでいる暇は、義時にはなかった。絶対に生き延びなければいけないのだ。菜春との約束を果たすために、義時は駆けた。

 裏門まで着いて、掛けてあった閂を外して外にでようとした。六助が立ち止まったのはその時だった。

「若、ここからはお一人でお行き下さい」

 その言葉に、義時は驚いて振り返った。

「は?なに言っているんだよ、六助」
「私が若のお部屋に戻って、若に成りすまして時間を稼ぎます」
「おまえ、自分の言っていることの意味がわかっているのか?」

 流石の義時もこれには絶句した。けれど、六助は落ち着いていた。落ち着いて、静かに頷いたのだった。

「わかっています。けれど、若を守るために、私はここにいるのです。義平様との約束を違えるわけにはいけませんから」

「・・・本気か?」
「もちろんです」

 六助の笑みは、何の翳りもないものだった。義時の中にこの一年、六助と過ごしたたくさんの思い出が蘇っては消えていった。今となってはもうもどらない、愛しい日々の数々だった。

「若は、次の時代を作るお方だ。時間は私が稼ぎます故、何があっても、生きてください。義時様の見果てぬ夢を、必ずや、若の手で」

「・・・六助。・・・決心は、変わらないのか?」
「はい。もう随分前からこうすることに決めておりました」

 義時は、六助の瞳に決意の色を感じ取っていた。

「大丈夫です。若様には菜春姫がいらっしゃる。姫のためにも、ここで死ぬわけにはいかぬはず。だから、若様なら、大丈夫です」

 その言葉に、義時は頷くことしかできなかった。

「・・・わかった」

 それいじょうの言葉は出なかった。涙は見せまい、と思ってくるりと六助に背を向けた。それが、二人の別れであった。

――城から出たら、後ろを振り返らずに駆けてください。

 六助の言葉を背中で聞きながら、義時は頷いた。春の夕風が頬に当たるのを、義時は悲しく感じていた。

――若、あなたが生きて戻るのを、私はずっと信じています。

 遠くのほうで見知らぬ鳥が鳴いている。夕陽に赤く染まった空を見上げて、鳥たちの影を眼で追った。義時は自分の頬を流れ落ちる涙を、感じていた。

「六助、・・・元気でな」

 六助の笑顔が、頭の中に浮かんでいた。背中の後ろで、きっとあいつは、あの人懐こい笑顔を浮かべているんだろうな。後ろは、もう振り返らない。せっかくつけた決心が、ぽきりと折れてしまいそうだから。義時は、もう振り返らない。

 六助の言葉が背中越しに聞こえてくるのを待ってから、義時は走り出したのだった。

❀           ❀
 あともう少しで森を抜ける、というところであった。
 辺りが何だか騒がしい、と思い、ふと足を止めてみると、後ろから声が聞こえてきた。聞き覚えのある声であった。

「まだそう遠くへは行ってないはず。見つけ出して、捕まえるのじゃ!」

 安実の声だ。義時と六助が入れ替わったことがばれたのだ。義時は、そう確信した。けれど、悲しんでいるような暇はなかった。逃げなくては、ならないのだ。義時は、転がるように走り出した。すぐに肺が悲鳴を上げ始める。足がもつれて、転びそうになって、義時は立ち止まってしまった。はあはあ、と肩で息をした。

 その時、馬のひづめの音が聞こえた。

「見つけたぞ!こっちだ」
「捕まえろ!逃がすなよ!」

 全ては、一瞬のうちに起こった。後ろから背中を蹴りつけられて、義時は地面の上に押し付けられた。何とか顔を上げると、目の前には安実の姿があった。馬上から、義時を見下ろしていた。

「安実様・・・」

 無慈悲な瞳が、そこにはあった。

「昨年、朝廷を裏切り入洛した義平殿を、兼平が討った。・・・わしはお前を殺そうと思っている」
 安実は、無表情にそう告げた。
「死ぬのは恐いか、義時よ」

 義時は、ぶんぶんと首を振った。恐いものか、恐くなど・・・。恐いという感情を認めてしまうことのほうが遥かに恐くて、義時は歯を食いしばって、必死の思いで耐えていた。

 ここで終わりか、と思うとなぜか菜春の姿が浮かんできて、義時のことを困らせた。あの日、初めて会った時の菜春の姿。泣いたり怒ったり笑ったり。くるくる変わる彼女の表情が好きだった。桜の下で舞を踊る彼女の姿は息を呑むほどに美しかった。でも、そんな日々が戻ってくることは、二度とない。

・・・ごめん、菜春。もう、会えない。

 ただ、そう思っただけなのに、あふれ出した感情が流れ出していってしまいそうだ。泣くまいと思って歯を食いしばる。義時は、顔を上げた。安実を鋭く睨みつけ、叫んだ。

「死などまったく恐くありませぬ!私は、入間義平の子ですから!」

 馬上から、安実が無表情に義時を見つめていた。

「切れ」

 安実が冷たく言い放った。
 義時は、無慈悲な刀が上げる風の悲鳴を、聞いた。


❀           ❀

 菜春の手から持っていた湯飲み茶碗が滑り落ちて、音を鳴らした。飲みかけていた茶が、畳の中にじわじわと吸い込まれていった。

「あらあら、菜春。こぼしてしまったのね。すぐに替えのお茶を用意させましょう」

 そう言って菜春に目をやった晶子は、娘が震えていることに気がついた。

「菜春、どうしたの?」
「どうしよう、お母様。義時様がいないの。義時様が、いなくなっちゃったよ」
「菜春、義時殿は・・・」
「違う。義時様がどこにもいないの。義時様が、今生きている気がしないの」

 不安で不安でたまらなかった。菜春は、縁側へと降り立って、漆黒に染まった空を見上げた。今までそこにあった義時の温もりが、消えていってしまいそうな気がして、菜春は不安で叫びだしそうになった。知らないうちに、涙が頬を流れていた。義時様、義時様。どうして?絶対に死なない、って言ったのに。入間に連れて行ってくれるって言ったのに。また会おうって、笑顔で言ってくれたのに。

 菜春は、聳え立つ桜の巨木を仰ぎ見た。義時様。私は、義時様とずっと一緒がよかったのに。

 その時、一際強い風が吹いてきて、今は見えないはずの桜の花びらが美春の目の前で舞っていた。たくさん、目で追いきれないくらい多くの桜の花が、踊っていた。

――どうして、こんなに暖かいのに・・・。

 菜春は思った。月の光を受けて、ひらりひらりと舞う雪の花。あの言葉とは、少し違う。夏は青々と茂り、秋には葉を落とし、冬には力を蓄えて、春に、見事な花を咲かせる。でも、それだけではないのだ。春は、奇跡を起こすのだ。

 まるで、過ぎ去った昔を懐かしむような、淡くはかない忘れ雪。

――ああ、きっと、義時様が降らせてくれたんだ。

 そう思うと、駄目だった。悲しくないわけが泣く、涙を止めるようなすべもなかった。頬に流れる涙をそのままに、菜春は声も上げずに泣き続けた。

――菜春に会えて、俺、本当によかったよ。

 義時の声が、今すぐにでも蘇ってきそうだ。今はもう遠くなってしまった、愛しい人。今すぐにでも会いたい。でも、会えない。どうしても、会えない。

 だから、義時様、あの時言えなかった言葉を、天に向けて、花に乗せるね。

――菜春も、義時様に出会えて、本当に幸せだったよ。

 絶対に忘れない。まぶたの裏に蘇る、あの愛しい人の面影を。それがどれだけ苦しいことだったとしても。

 泣き虫だった私に、いつも優しく手を差し出してくれたあなたの顔は、今でも私の中に眠っています。

 桜が咲くたびに、そっと涙を流しながら、あの春の日のことを思い出す。桜の木の幹に触れてみては、あなたがいないことを悲しく思う。

 今年も、桜は見事に咲いた。満開だよ、義時様。

 桜の花びらを手で掬い、空に放り投げてみる。ひらひらと舞う花びらに、いつか見た桜を重ね合わせる。

 今年も、桜は咲きました。来年も、桜はきっと咲くことでしょう。菜春は、その時をずっと待っています。あなたを思って、ずっとずっと、待っています。


 いつか、桜の木の下で・・・
                                    いつか桜の木の下で <完>
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by sinsekaiheto | 2007-01-19 18:31