2007年 02月 06日 ( 1 )

あなたと出会わなかったら・・・(5)


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「真央・・・まお!」

 彼の声が遠くで聞こえる。

「雨、降ってるよ」

・・・知ってる。だから、困ってたんだもん。

 雨の音につられて顔を上げたら、見慣れた彼の横顔が、そこにあった。



あなたと出会わなかったら・・・。




*     *

 
 下足ロッカーのところまで下りていくと、一人ポツリと佇んで、雨止みを待っている彼女がいた。

 僕の手にぶら下がった傘が、カツンカツン、と音を立てる。

 彼女が振り返りそうな気配はなかった。激しくなる雨を見つめて、ただぼんやりとしているのだった。

 雨の音、蛍光灯の黄色い光。

 僕は少しの間、我を忘れた。

 あまりにも、そうしている彼女の姿が、美しかったから。

「まお・・・。・・・真央!」

 気がつけば、思わず叫んでいた。

 ビクッと身体を震わして、彼女が振り返る。

 彼女の瞳には、驚きと戸惑いとが、映っていた。



「何やってんだ。こんなところで」


 ざあざあという、雨の音。不安そうな、彼女の瞳。


「傘を、忘れちゃって」


 彼女は、そう小さな声で呟いて、目を伏せた。


 靴を履き替えて、彼女の傍まで行くと、彼女は僕を見上げていた。中学一年生のときに抜かした身長は、今じゃもう10cm以上も、僕のほうが高くなっている。


「多分、暫くは雨、止まないよ」


僕が言うと、彼女は小さく頷いた。


「うん。わかってる」


 それでも彼女は、そこで雨が止んでくれるのを、ずっとずっと待っているのだ。


「送ってく」

 僕は彼女に向けて、そう言った。



「え、でも・・・」


 蛍光灯に照らされた彼女の横顔が、痛いほどにくっきりと、僕の瞳に焼き付けられた。

「悪いよ、そんな」
「いいよ、べつに。どうせ家、近いんだから」
「・・・」


 黙りこんでしまった彼女に、パッと僕は傘を広げた。


「ほら。入れよ」


 少しだけ考えるような素振りを見せて、それから小さく頷いて、彼女はおずおずと、僕の傘の中に、もぐりこんで来てくれた。



*     *


 雨にぬれたアスファルトの上を、ひたすら、下を向いて歩いていた。

 あたしの隣には、傘をさしてくれる、彼の左手。


「ごめん。濡れちゃうよね」

「・・・」

 それには答えずに。彼は私のほうを見る。


「美紀から聞いた」


 しとしと。雨が傘にあたって、音をかなでる。


「最近、元気ないんだって?」


 美紀の顔が、頭に浮かんだ。



「・・・そんなこと、勇気には、関係ないじゃん」

 言ってしまってから、はっとなった。

 彼は悲しそうな顔をして、笑っていた。


 しとしとと降る、雨の音。


「ご、ごめん」


 謝るぐらいなら、言わなきゃよかったのに。


「いや・・・、別に本当のことだから」

 そうなのかな、本当かな。

 自分自身に問いかけたその言葉は、答えを見つけることもできずに、私の中をさ迷った。



「あのときのこと、まだ根に持っているのか?」


 彼は言った。それが、私にとって、残酷な問いだとも気づかずに。


 つまらない喧嘩で、意地を張って、遠回りして、とうとうここまで来てしまった。

 もう一度、あの頃に戻りたい。

 まだ、子どもだった頃の私たちに。

 泥まみれで、無邪気に笑っていられた頃の、私たちに。

 私は黙って、雨にぬれた彼の学生服を見つめていた。



 バスに乗って、バスに揺られて。自分たちの町が見えてきて、バスが止まるそのときまで、私たちは、黙り込んだままだった。

 そこにポカリとできた沈黙が、何よりも雄弁に、私たちの中にある隔たりを物語っていた。

 
 いつものバス停で、バスを降りる。

 
 雨はもう、降り止んでいた。

「こうやって帰るのって、なんだか久しぶりだな」

 
 彼の声を隣で聞きながら、必死に彼の歩幅についていく。取り残されてしまいそうで、なんだか怖かった。


「小学生のときとか、近所の祭りとかに行くときに、この道通ったの、覚えてる?」


 彼は呑気に、そんなことをぺらぺら喋る。
 
 たぶん彼は困っているのだ。私があまりにも無口だから。豆腐に釘を突き刺しているみたいに、無反応だから。


 私はまた、思い出していた。沈黙に困った彼は、いつも必死に言葉をつないでいたのだった。


「覚えてるよ」


 私はつぶやいた。覚えてる。はるか遠くに遠ざかって、今にも消えてしまいそうな記憶だったけど、覚えてる。記憶の中で彼は、まだあいまいな笑みを浮かべていて、その笑みがさらにぼやけてしまうのを、私は悲しい気持ちで見つめていたのだ。


 私の家が近づいてくる。遠くに、彼の家の明かりも見える。刻々と、近づきつつある、別れの時刻。


 家の前で立ち止まって、私は彼にお礼を言った。

「ありがとう。ごめんね、わざわざ」

 そんな私の言葉に、彼はすっと視線を外し、

「謝るなよ。本気で、ごめんって思っているわけじゃ、ないだろ」


 心の中を見透かされたような気がして、ドキッとなった。


「じゃあ、どうしたら・・・」
「何も言わなくていいよ」

 素っ気無く、彼はそう言った。彼の瞳が、私の心を貫いて、何だか、変な感じだ。

 私の目の前にいる彼は、多分もう、あの頃の彼じゃない。


「何も言わなくていいから。普通にしてくれているだけで、充分だから」
「でもっ!!!」
「でもじゃない。なあ、なんでそんなにすぐに自分を隠そうとするんだよ。そんなの、お前らしくないよ」


 彼は、怒っているのかな。私が、余りにも弱いから。


「隠してなんか・・・」
「いいや、隠してる。さっきから、一度も俺の顔を見ようとしない」


 ああ、そっか。私はずっと逃げ続けていたんだな。何から逃げているのかもわからずに。でも、今やっとわかった。私は、彼と真正面から向き合うことから、逃げていたのだ。


「逃げんなよ!ちゃんと俺の顔見ろよ!真央!!」


 捕まれて腕が、よじれて、悲鳴を上げそうになった。私が顔をしかめたのを見て、少し力を弱めてくれたけど、彼は、私を離してはくれなかった。


「勇気はずるい」

 私は彼と視線を合わせられないまま、ポツリと小さく呟いた。


「・・・ずるいって?」


「だって、いつも自分ばっかりじゃない。自分の言いたいことだけぺらぺらしゃべって、それでいつも満足してるんじゃない。少しは私の気持ちだって、考えてよ!」


 なんで、何で?何で涙が止まらないのかな。私は今、何がこんなにも悲しいのかな。わかんないよ。彼の表情がわかんない。私は今、なんて言ったかな?わからない。わからないよ。


 ただ、彼の腕が、私の身体をぐいっと引っ張ったことだけが、わかった。


 私は、彼の腕の中に、すっぽりと閉じ込められていた。抱きしめられたのだと、私は気付いた。


「あのさぁ、真央」

 彼の腕は、心なしか、震えているかのように、思えた。

「ごめんな」

 興奮がスーと引いていき、緩んでしまった涙腺も、何とか元通りになった。

「本当は、そんなことが言いたかったわけじゃないんだ」

 涙で濡れた頬に、風が冷たい。

「真央のこと、今でも一番、大切だよ」

 しゃくりあげて見上げた彼は、あの頃と同じ、優しい笑みを浮かべていた。

「だから俺、今度から、ちゃんとするから」

 ぎゅっと、きつく抱き寄せられて、私の頭は真っ白になった。それでも、彼の腕のぬくもりだけは、しっかりと感じとっていた。

「・・・わかった。期待しないで、まってるよ」

 それだけ言うと、彼は私を腕の中から解放してくれた。彼の腕のぬくもりは、すぐに吹いてきた風の中に、溶けるかのように消えていった。

「お休み」
「お休みなさい」
 
 彼が、手を振った。私は、遠ざかっていく彼の背中を、いつまでも瞳の中に焼き付けていた。

 どうしてかな。その時の私は、このままもう、彼と一生会えなくなるような気がしていたのだ。


 小さくなった彼の背中が、私の視界の中から消えてしまったとたん、せっかく収まったはずの私の涙が、ぼろぼろと溢れ出してきた。


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by sinsekaiheto | 2007-02-06 12:35