2007年 03月 09日 ( 1 )

世界の終わりとオレンジジュース


 今日で世界が終わります。あなたなら、残りの時間をいったいどんなふうに過ごしますか?


 世界の終わりとオレンジジュース
 

 それは、僕が高校一年生のときのことだった。

 三時間目のチャイムとともに入ってきた世界史の教師は、授業で使っている参考書や教科書を、ばさりと教卓の上に放り投げて、こんなことを言った。

「えー、この星は・・・、本日の午後八時二十分に崩壊する、予定である、と文部科学省からの正式発表が、えー、つい先程行われた。えー、つきましては、世界の最後の日を諸君たちにも、えー、十二分に満喫していただきたい。えー、よって今から精一杯羽目を外すがよろしい。以上、授業終わり」

 そういうなり、世界史の教師はすたすたと教室を出て行ってしまった。教室は一瞬「休み時間」のような喧騒に包まれたが、生徒たちはまるでなにごともなかったかのように、三々五々帰り支度を始めた。

 僕も教科書を机の中にしまってから、立ち上がった。斜め前の席に座っていた少女が立ち上がって、僕の席までやってきていた。

「世界、おわっちゃったね」
「ああ、そうみたいだな」
「どうしてかな?」
「さあ。終わらせたかったからじゃないの?」

 僕は、取り敢えずそう呟いた、欠伸が出た。寝不足だ。昨日は(いや、今日か?)朝の三時まで四時間目に行われるはずだった数学の授業の課題に追われていたから。太陽の光が、目にまぶしい。

「ねぇ、どうする?このまま帰ってもいいのかな?みんな、帰っちゃったみたいだけど」

 気付けば、がらんどうになった教室に、僕たち二人は取り残されていた。僕は、少しだけ考えて、

「取り敢えず、俺は職員室に数学の課題を出しにいく。その後のことは、その後に考えるよ」
「几帳面なんだね、君は」
「ああ、そうみたいだ」

 僕は呟いた。少女は「私も行くよ」といって、僕の後についてきた。

 職員室にたどり着いて、扉をどんどんとノックしようとしたときに、ピンポンパン、と校内アナウンスの音が響いて、ぶっつんぶっつん、とマイクを接続する音が聞こえた。

「あー、本日は晴天なり。本日は晴天なり。ただいまマイクテスト中、あー、本日は晴天なり。うん?今日は本当に晴天か?いや駄目だ・・・。小雨が降っているではないか。ならば、よし。本日は小雨なり。本日は小雨なり」

 スピーカーから流れてくる声は、多分校長のものだろう。

「あー、ただいま校舎の中に残っている生徒諸君に告ぐ。先程、文部科学省から、この星の終わりについての正式発表が行われた。詳しいことは、三時間目の授業担当から聞いているであろうと思われ。よって、本日の授業はこれまでとする。なお、各種お問い合わせは等に着きましては、街角のタウンページ参照のこと」

 そんな内容のアナウンスが、スピーカーを伝って、僕たちの耳に入ってきた。

「あ、学校休みになるみたいだね」
「ああ、そうみたいだな」

 僕は頷いた。職員室のドアを開けると、ふわりと甘いコーヒーの香りが僕の鼻孔をくすぐった。僕は担任であると同時に数学の教室でもある竹本先生のところで歩いていった。

「先生、これ」

 僕は竹本先生に渡す最後になるであろう提出物を、しっかりと両手をそろえて手渡した。少女は「あ、私も出す」と鞄の中身をごそごそやった。

「やあやあ、お二人さん。なかなかと几帳面ではありませんか」

 先生はニコニコとそういいながら、僕らの提出物を受け取った。

「はて、困りましたね。いつもどおり、平常点にプラスしても、今日で終わりなのだからもう意味がないですね」
「先生、私たち、別にいいですよ。そんなの」
「いやいや、そういうわけにはいきません」

 竹村先生はきっぱりと首を横に振って、ポケットから財布を取り出した。そのなかから千円札を一枚抜き出して、

「これで、二人でオレンジジュースでも飲んだらいかがです?」

 彼女は、その千円札をおずおずと受け取って、礼を言った。「いやいや」と笑って先生は手を振って、またデスクワークに戻って行った。

 職員室を出た後、少女は言った。

「先生って、大変だよね。世界の最後の日だって言うのに、仕事しないといけないなんて」
「まあな、でも、公務員だもんな」

 僕が言うと、彼女は「納得」と頷いた。

 少女の後ろにくっついて、町へ出た。町へ出ると、あたりは凄まじい有様だった。隣を歩いていた少女が「わあ、すごい」と息を漏らした。

 学習塾の看板には、「さあ、世界の終わりが来たぞ!今こそライバルに勝つチャンス!!」との売り言葉が書きなぐられていた。何を勘違いしたのだろうか、屋根に鯉の幟を泳がせている家がそこここにあった。

 子どもたちはここぞとばかりにフランクフルトを食いまくり、高校生くらいの青年たちは、カラオケに居酒屋めぐりを愉しんだ。「世界最後の日記念コンサート」が各地で催され、アーティストやタレントたちが至る所でコンサートを始めていた。

「なんか、お祭りみたいだね」
「ああ、そうだな」

 僕は相槌を打った。少女はきょろきょろとあたりを見渡して、「あ、あそこ」と近くにあった喫茶店を指差した。「世界の終わりを記念して、一発お茶でもいかがでしょうか?喫茶、オレンジ」

「入ろうよ。先生からもらったお金もあることだしさ」

 少女が言った。僕は、コクリと頷いた。

 からからと音を立てながら店に入る。喫茶オレンジは、きれいに装飾されていて、陽気なジャズなんかも流れていて、まるで今日が世界の終わりの日だということも、感じさせない。

 テーブルに着くと、若いウェイトレスさんがやってきて、僕たちに注文の品を聞いてきた。少女が答える。

「えーと、オレンジジュース二つください」

 ウェイトレスさんは、伝票になにやらごそごそと書き込んで、「オレンジジュースがお二つですね。かしこまりました。ところでお客様、本日は世界最後の日だということで、『世界最後の日ランチ』が大変お求め安くなっておりますが、いかがなさいますか?」

「どうする?」

 少女が僕に向かって、尋ねる。

「俺はいいよ」
「そう。君が良いなら、私もいらない」
「かしこまりました」

 ウェイトレスはぺこりとお辞儀をしてから、カウンターのほうへと消えていった。少女はその背中を見送った後、

「とうとう、世界の終わりの日が来るんだね」
 
 と呟いた。

「子どもの頃ってね、よく明日世界が滅びるとしたら、あなたを最後に何かしておきたいことはありますか?なんて質問が、たくさんあったね」
「ああ、そんなこともあったかな」

 少女は、ふふっと微笑んで、

「でもさ、その日がこんな風に突然やって来たりなんかしちゃったら、どうして良いかも、わからないよね」
「ああ、でもまあ、そんなもんだろう」

 僕は俯く。運ばれてきたオレンジジュースを、ストローでからからとかき混ぜる。

「君ならさ、こんなときには、どうする?」

 僕は、じっと考え込んだ。

「食べ放題の店に入って、詰め込めるだけ詰め込むって言うのは?」

 少女は微笑を浮かべていた。

「太っちゃうね、そんなことしたら」
「まあな」

 少女は、オレンジジュースをストローでチューっと吸い上げた。

 その時だ。

 「飲酒運転撲滅委員会」と大きく書かれたTシャツで、真昼間からお酒を飲んで、べべれけによった腹巻姿のおじさんが、突然大声で「ふるさと」を歌いだした。初めはきょとんとそのおじさんを見ていた素面の客たちも、そのおじさんがあまりに気持ちよく「ふるさと」を歌うものだから、調子に乗って一緒に歌いだしてしまった。

 そのうちウェイトレスやマスターまでもが歌に加わって、たちまち店全体を包み込む大合唱へと変わっていった。

「出ようか」

 僕は言った。少女はちょうどジュースを飲み終えたところだった。

「うん」

 僕たちは立ち上がった。レジには誰もいなかったので伝票とお金をトレーの中に残して、店を出た。

「さてと、本格的に一文無しだね」

 少女が言った。僕は、頷かなかった。世界最後の日に生きる僕らにとって、お金なんて、それほど重要なものではなかったのだ。

「どうする、これから」
「取り敢えず、夕陽でも見に行こうか」

 少女は頷いた。僕は少女の手をとって歩き出した。



 西の空へと夕陽がずぶずぶ沈んでいく。直に日が暮れて、真っ暗になって、多分、その時がやってくる、筈だ。

「早く明日にならないかな」

 少女は呟く。僕は、

「ああ、そうだな」

 言った。少女の宝石見たいの輝くひとみを見つめながら、言った。

 そうやって、僕たち二人は、世界の最後の、赤い夕陽を見たのだった。

                                                  扉へ
[PR]

by sinsekaiheto | 2007-03-09 10:48 | 小説