カテゴリ:小説( 10 )

小説


 新しい小説ができました。名前は「振り仰げば空」です。

 せっかくなので、少し紹介(というか言い訳)を。



 
 この小説は、春休みのある日ふと思いつき書き始めたものですが、当初の予定では三日ぐらい書けば終わる、という感じでした。しかし、ふたを開けてみれば完成までに一ヶ月ぐらいかかってしまいました。それもこれも、HOMAの生産能力の低さというかなんというか・・・。



 あらすじは、大学生くらいの男の子(修治)と、その幼馴染の女の子(ミキ)にまつわる話です。


 

 この話を書くにあたって、HOMAの中にひとつのテーマがありました。いろいろと紆余曲折はありましたが、だいたいそのテーマに沿った出来上がりになったと思っています。


 そのテーマとは、「変化」です。



 この話の中で、ミキはひたすらに変化を求めます。自分のおかれた状況に満足せずに、一途に上を目指そうとします。


 それとは反対に、修治は変化を避けようとします。自分のおかれた状況が変化してしまうことを、避けようとします。


 結果二人は衝突してしまうのですが、まあそれは仕方がないことだともいえると思います。



 ところで、「変化」を求めることって、HOMAはどうなのかと時々思います。


 

 変化を求めることは、とても大切なことですが、なにか大切なものも失ってしまうような気がしてならないのです。


 ただ、「このままがいい」という風に変化を拒むこともHOMA的には何か違うのです。



 このまま、といっても、そういう風に口に出した時点でもうその「このまま」は壊れてしまっているような気がします。うまくはいえませんが。



 ということで、ちょっとした小説の宣伝でした。
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by sinsekaiheto | 2009-06-01 22:51 | 小説

無題


 受験中は、非常に食生活が乱れておりました(毎日目玉焼きどんぶりを食べる、等)。しかし、受験が終わっても食生活は依然として乱れたままです(毎日目玉焼きどんぶりを食べる、等)。


 特に受験が終わったからといって生活が豹変するわけでもなく、せいぜいこそこそとパソコンをいじっていたのが堂々とパソコンをいじるようになった程度です。なんか、やだな。


 いま、PSPが欲しいと思っているのですが、高いね、あれ。値段が。全然手が届きません。っていうか、いまリアル金欠でやばいやばい。この一ヶ月、果たして生き延びられるのか・・・。


 はい、ねたがつきました。(早!) そろそろバイトでも始めようかと思います。まあ、詳細は後ほど。
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by sinsekaiheto | 2009-03-10 09:25 | 小説

不器用な恋の終わりに(1)



 
 不器用な恋の終わりに
 
 日下部邦夫は、嫌な奴だった。

 「傲慢」という言葉を絵に書いたような男だった、と言えばいいのかもしれない。成績はきわめて優秀なのだが、それに反比例するかのように性格も悪く、人を小馬鹿にしたような見下した態度に出るところも、好きになれない。共通の知人に聞いてみたところでも、その評価に変わりはなかった。とにかく、日下部邦夫という男は、そういう嫌な奴だったのだ。

 どこかに走っていく救急車のサイレンが近づいてきて、また遠ざかっていく。秋人は頭のどこかでその残響を負いながら、そっと息を吐き出した。沈黙。じっとりと湿った空気の中には、教科書の本文をそのまま読み上げる教師の声だけが、響いている。かつかつというチョークの音とともに、黒板が白い文字で埋め尽くされていく。秋人はのろのろとノートを取り出して、条件反射のように黒板の文字を写しはじめた。

 ――夏美は、何でまだあんな奴と付き合っているんだろう。

 秋人はそろそろと息を吐き出した。文字を写すという単純作業は、人の思考をいともたやすく別のところに飛ばしてしまえるものらしい。秋人は板書を写す手を休めて、窓の淵に頬杖をついた。教師のおもしろくもない話に付き合って、せっせとノートを汚すような気にはなれずに、秋人は窓の向こうに小さく見えている一年生の教室へと視線を逃がした。五月の風が木々を揺らして、まぶしそうな光の中に、二匹の鳥が飛び立っていった。

 日下部邦夫の取り柄といえば、いったい何が挙げられるのだろうか。

 中庭の景色を眺めながらも、秋人の思考は再びそこに戻っていた。日下部邦男は夏美が今まで付き合ってきた男の中でも、上から二番目くらいに身長が高く、ルックスは人並みか、まあ見ようによっては悪くもないという判断が下せる程度。中学の三年間をテニスに費やして、それなりの成績も残していたという。

 そこまで考えて、急に秋人は馬鹿馬鹿しくなった。やめたやめた、こんなこと。どうして俺が夏美なんかのために、こんな思いをしなくちゃならないんだ?秋人はばさりとノートを閉じた。消しくずが風に飛んで、ざまあみろ、と秋人は思った。けれど次の瞬間にはもう、そう思ったことがとても惨めなことのように思えてきて、秋人は今度こそ何も考えないように、机に突っ伏して目を閉じた。

 ――日下部君が二股をかけてるみたいなの。

 そう言ったときの夏美の顔が秋人の中に浮かんでいた。なんだよ、しつこい奴。そう思っては見たけれど、完全にそれを自分の中から払拭することもできなかった。

 ――そんなこと、いちいち俺に報告するなって。

 その時秋人は、ちょっと笑ってそんなことを言ったのだ。けれど、夏美は笑わなかった。にこりともせずに、真正面から秋人のことをじっと見ていた。睨みつけていた、というほうが正しいのかもしれない。情け容赦のない、睨み方だった。

 ――・・・なんだよ。
 ――ねぇ、それって本気で言ってるの?
 ――何が?
 ――・・・もういいよ。
 
 秋人は、あきれた。夏美は気まぐれな猫のように、いとも簡単にくるりと身を翻し、すたすた歩いていってしまった。ああ、そうだ。秋人は、思い出していた。あの日も、あの空には綿飴みたいに軽そうな雲があちらこちらにぷかぷか浮かんでいて、季節は確かもうすぐ秋で、その空の下を、夏美と秋人で一緒に歩いていたのだった。

 ――浮気調査、して。

 もう一度振り返った夏美の唇が確かにそう動くのを、秋人は聞いた。もううんざりだと思っていた。夏の終わりのどこか投げやりなセミの声が、それでも間断なく大空から降ってきて、さらにその気持ちの拍車をかけた。

 口からこぼれ出たため息は、夏美のもとへと届くよりも先に、セミの声にかき消される。

 ――幼馴染じゃん、あたしたち。
 ――・・・何を今さら。

 秋人は、立ち止まった。近くにある小学校から、子どもたちの歓声が聞こえてきた。二人の影を、永遠の夏のメロディーが、焼き付ける。そんな夏だった。秋人は、どこか懐かしいような、それでいて少し悲しい気持ちになった。昔、多分まだそう遠くもないころに、こんな風にして二人で歩いたことがあったのかもしれない、そう思った。

 ――・・・なんでもない。

 夏美は少し怒った表情で、秋人のことを見上げていた。まただ。そう思って、秋人はそっと夏美から目を逸らした。諦めにも似た感情が、秋人の中を支配していた。夏美の責めるような視線にももう慣れてしまったけれど、何も、何も言い返せそうにない。だから、自分が情けないような、不甲斐ないような。幼馴染なんて、ただそんな役回りだ、とそう思った。

 秋人ってば、何も言ってくれないもんね。

 夏美の言葉が蘇った。いったい夏美は、何を言ってほしかったのだろうか。今さら、今さら秋人が何かを言ったところで、何も変わることなんてないということを、夏美もちゃんと承知しているはずなのに。悩んだ末に、秋人は落ち着きなく言葉を捜して、けれども上手い言葉も見つからず、結局思いを飲み込んでしまうのだ。今さらだった。もう、いろんなことが手遅れで、足掻いてももがいてもいらいらばかりが募るばかりで、いろいろともう無理なのだ。

 こんなときに、秋人はよく並んだ歯車を思い浮かべる。がっちりと縦横斜めを固められ、さびて動けなくなった歯車だ。自分はきっとその歯車たちの端のほうに位置していて、動くに動けなくなった部品の中の一部なのだ、と秋人は思う。しかも他の部品たちが少しでも動こうと必死に手足をばたつかせているのに対し、自分ひとりだけが冷静で、もうどうせ動かないのだなんて勝手に諦めてしまっているような、そんな部品だ。秋人は思う。もとより歯車を動かす力など自分にはなく、神さまから振り分けられた役付けにも、きっと自分の名前はないのだろう。「運命」などという立派で月並みな言葉を借りなくとも、秋人にはそれがわかっていた。

 その歯車の中心部分に、いつも秋人は夏美のことを思い描く。そのことが、他の何よりも雄弁に二人の間の隔たりを物語っている。

 ――秋人はさぁ・・・

 夏美の呟きが、風に溶けた。その言葉の続きを秋人は知らない。知りたくもない、と思っている。

 チャイムが鳴った。教師が授業の終わりを告げて、がたがたとイスが忙しそうに音を鳴らした。

 夏美が、前の席の男子生徒に話しかけられて、おかしそうに笑っている。

 それを見ていたら、少しだけほんの少しだけ、きりの先でつつかれたようなかすかな痛みに、胸の奥がずきりと痛んだ。


     続く
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by sinsekaiheto | 2007-08-09 22:00 | 小説

世界の終わりとオレンジジュース


 今日で世界が終わります。あなたなら、残りの時間をいったいどんなふうに過ごしますか?


 世界の終わりとオレンジジュース
 

 それは、僕が高校一年生のときのことだった。

 三時間目のチャイムとともに入ってきた世界史の教師は、授業で使っている参考書や教科書を、ばさりと教卓の上に放り投げて、こんなことを言った。

「えー、この星は・・・、本日の午後八時二十分に崩壊する、予定である、と文部科学省からの正式発表が、えー、つい先程行われた。えー、つきましては、世界の最後の日を諸君たちにも、えー、十二分に満喫していただきたい。えー、よって今から精一杯羽目を外すがよろしい。以上、授業終わり」

 そういうなり、世界史の教師はすたすたと教室を出て行ってしまった。教室は一瞬「休み時間」のような喧騒に包まれたが、生徒たちはまるでなにごともなかったかのように、三々五々帰り支度を始めた。

 僕も教科書を机の中にしまってから、立ち上がった。斜め前の席に座っていた少女が立ち上がって、僕の席までやってきていた。

「世界、おわっちゃったね」
「ああ、そうみたいだな」
「どうしてかな?」
「さあ。終わらせたかったからじゃないの?」

 僕は、取り敢えずそう呟いた、欠伸が出た。寝不足だ。昨日は(いや、今日か?)朝の三時まで四時間目に行われるはずだった数学の授業の課題に追われていたから。太陽の光が、目にまぶしい。

「ねぇ、どうする?このまま帰ってもいいのかな?みんな、帰っちゃったみたいだけど」

 気付けば、がらんどうになった教室に、僕たち二人は取り残されていた。僕は、少しだけ考えて、

「取り敢えず、俺は職員室に数学の課題を出しにいく。その後のことは、その後に考えるよ」
「几帳面なんだね、君は」
「ああ、そうみたいだ」

 僕は呟いた。少女は「私も行くよ」といって、僕の後についてきた。

 職員室にたどり着いて、扉をどんどんとノックしようとしたときに、ピンポンパン、と校内アナウンスの音が響いて、ぶっつんぶっつん、とマイクを接続する音が聞こえた。

「あー、本日は晴天なり。本日は晴天なり。ただいまマイクテスト中、あー、本日は晴天なり。うん?今日は本当に晴天か?いや駄目だ・・・。小雨が降っているではないか。ならば、よし。本日は小雨なり。本日は小雨なり」

 スピーカーから流れてくる声は、多分校長のものだろう。

「あー、ただいま校舎の中に残っている生徒諸君に告ぐ。先程、文部科学省から、この星の終わりについての正式発表が行われた。詳しいことは、三時間目の授業担当から聞いているであろうと思われ。よって、本日の授業はこれまでとする。なお、各種お問い合わせは等に着きましては、街角のタウンページ参照のこと」

 そんな内容のアナウンスが、スピーカーを伝って、僕たちの耳に入ってきた。

「あ、学校休みになるみたいだね」
「ああ、そうみたいだな」

 僕は頷いた。職員室のドアを開けると、ふわりと甘いコーヒーの香りが僕の鼻孔をくすぐった。僕は担任であると同時に数学の教室でもある竹本先生のところで歩いていった。

「先生、これ」

 僕は竹本先生に渡す最後になるであろう提出物を、しっかりと両手をそろえて手渡した。少女は「あ、私も出す」と鞄の中身をごそごそやった。

「やあやあ、お二人さん。なかなかと几帳面ではありませんか」

 先生はニコニコとそういいながら、僕らの提出物を受け取った。

「はて、困りましたね。いつもどおり、平常点にプラスしても、今日で終わりなのだからもう意味がないですね」
「先生、私たち、別にいいですよ。そんなの」
「いやいや、そういうわけにはいきません」

 竹村先生はきっぱりと首を横に振って、ポケットから財布を取り出した。そのなかから千円札を一枚抜き出して、

「これで、二人でオレンジジュースでも飲んだらいかがです?」

 彼女は、その千円札をおずおずと受け取って、礼を言った。「いやいや」と笑って先生は手を振って、またデスクワークに戻って行った。

 職員室を出た後、少女は言った。

「先生って、大変だよね。世界の最後の日だって言うのに、仕事しないといけないなんて」
「まあな、でも、公務員だもんな」

 僕が言うと、彼女は「納得」と頷いた。

 少女の後ろにくっついて、町へ出た。町へ出ると、あたりは凄まじい有様だった。隣を歩いていた少女が「わあ、すごい」と息を漏らした。

 学習塾の看板には、「さあ、世界の終わりが来たぞ!今こそライバルに勝つチャンス!!」との売り言葉が書きなぐられていた。何を勘違いしたのだろうか、屋根に鯉の幟を泳がせている家がそこここにあった。

 子どもたちはここぞとばかりにフランクフルトを食いまくり、高校生くらいの青年たちは、カラオケに居酒屋めぐりを愉しんだ。「世界最後の日記念コンサート」が各地で催され、アーティストやタレントたちが至る所でコンサートを始めていた。

「なんか、お祭りみたいだね」
「ああ、そうだな」

 僕は相槌を打った。少女はきょろきょろとあたりを見渡して、「あ、あそこ」と近くにあった喫茶店を指差した。「世界の終わりを記念して、一発お茶でもいかがでしょうか?喫茶、オレンジ」

「入ろうよ。先生からもらったお金もあることだしさ」

 少女が言った。僕は、コクリと頷いた。

 からからと音を立てながら店に入る。喫茶オレンジは、きれいに装飾されていて、陽気なジャズなんかも流れていて、まるで今日が世界の終わりの日だということも、感じさせない。

 テーブルに着くと、若いウェイトレスさんがやってきて、僕たちに注文の品を聞いてきた。少女が答える。

「えーと、オレンジジュース二つください」

 ウェイトレスさんは、伝票になにやらごそごそと書き込んで、「オレンジジュースがお二つですね。かしこまりました。ところでお客様、本日は世界最後の日だということで、『世界最後の日ランチ』が大変お求め安くなっておりますが、いかがなさいますか?」

「どうする?」

 少女が僕に向かって、尋ねる。

「俺はいいよ」
「そう。君が良いなら、私もいらない」
「かしこまりました」

 ウェイトレスはぺこりとお辞儀をしてから、カウンターのほうへと消えていった。少女はその背中を見送った後、

「とうとう、世界の終わりの日が来るんだね」
 
 と呟いた。

「子どもの頃ってね、よく明日世界が滅びるとしたら、あなたを最後に何かしておきたいことはありますか?なんて質問が、たくさんあったね」
「ああ、そんなこともあったかな」

 少女は、ふふっと微笑んで、

「でもさ、その日がこんな風に突然やって来たりなんかしちゃったら、どうして良いかも、わからないよね」
「ああ、でもまあ、そんなもんだろう」

 僕は俯く。運ばれてきたオレンジジュースを、ストローでからからとかき混ぜる。

「君ならさ、こんなときには、どうする?」

 僕は、じっと考え込んだ。

「食べ放題の店に入って、詰め込めるだけ詰め込むって言うのは?」

 少女は微笑を浮かべていた。

「太っちゃうね、そんなことしたら」
「まあな」

 少女は、オレンジジュースをストローでチューっと吸い上げた。

 その時だ。

 「飲酒運転撲滅委員会」と大きく書かれたTシャツで、真昼間からお酒を飲んで、べべれけによった腹巻姿のおじさんが、突然大声で「ふるさと」を歌いだした。初めはきょとんとそのおじさんを見ていた素面の客たちも、そのおじさんがあまりに気持ちよく「ふるさと」を歌うものだから、調子に乗って一緒に歌いだしてしまった。

 そのうちウェイトレスやマスターまでもが歌に加わって、たちまち店全体を包み込む大合唱へと変わっていった。

「出ようか」

 僕は言った。少女はちょうどジュースを飲み終えたところだった。

「うん」

 僕たちは立ち上がった。レジには誰もいなかったので伝票とお金をトレーの中に残して、店を出た。

「さてと、本格的に一文無しだね」

 少女が言った。僕は、頷かなかった。世界最後の日に生きる僕らにとって、お金なんて、それほど重要なものではなかったのだ。

「どうする、これから」
「取り敢えず、夕陽でも見に行こうか」

 少女は頷いた。僕は少女の手をとって歩き出した。



 西の空へと夕陽がずぶずぶ沈んでいく。直に日が暮れて、真っ暗になって、多分、その時がやってくる、筈だ。

「早く明日にならないかな」

 少女は呟く。僕は、

「ああ、そうだな」

 言った。少女の宝石見たいの輝くひとみを見つめながら、言った。

 そうやって、僕たち二人は、世界の最後の、赤い夕陽を見たのだった。

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by sinsekaiheto | 2007-03-09 10:48 | 小説

あなたと出会わなかったら・・・(1)


 あと、もう少し。
 
 もう少しで、あなたの心に届きそうな気がするのに、
 
 あなたは私より、とても遠い。
  
 触れてみたいと伸ばしかけた手は、
 
 あなたに届かずに、宙を掻いた。



 あなたと出会わなければ良かった。
 
 こんな思いをするくらいなら、
 
 あなたと出会わなければ良かった。
 
 幼い頃、私のそばで笑っていたあなたの横顔は、もう私のそばにはなくて。
 
 昔見たあの幻影をずっとずっと追いかけている。



 もし、あなたと出会わなかったら、こんな思いはしなかったのか?
 
 私は自分に問いかける。
 
 それでも、私はあなたに会うことを、きっと選んでしまうのだろう。



 
あなたと出会わなかったら・・・。





 1
 
「真央、何ぼんやりしてんの?昼休み終わっちゃうよ。もう。いつまでお弁当食べてんのよ」

「へ・・・?」


 気がついたら、いつも彼女がそばにいる。


「箸が動いてない。玉子焼きが泣いてるぞ」


 美紀が、自分の箸で私の弁当箱の蓋を叩いた。


「ごめん、何かボーっとしてた」
「どうしたのよ、もう。何で真央が謝るの?」
「・・・うん。そうだよね。何か、変だな。・・・夢を見たからかな」
「・・・夢?いやな夢でも見たの?」
「ううん、違うよ。上手く言えないけど、懐かしい夢だったんだ」


 夢の中には、彼が出てきた。私は今よりも幼くて、彼の前ではいつもそうだった様に、聞き分けもなく、泣いていた。


「ふ~ん。でも、最近の真央って、ちょっと変だよ。いつも心ここにあらずって言うか、見えない誰か見てるみたいに、いつもぼんやりしているし」
「やだ。ほんとに?」
「そうだよ。もう、しっかりしてよね。ここに、何か悪い虫でもついてるんじゃない?」


 怒ったような声を作って、美紀は私のおでこをつんつん突付いた。私は慌てて額をかばう。美紀が、私を見て、いつもの笑顔を浮かべてくれた。「もう、しょうがないわねぇ」そんな感じ。彼女にとって、私は多分、妹のような存在なのだ。

「五時間目、情報の授業だからね。遅れちゃ駄目だよ。あたし、用事があるから先に行くけど、早くお弁当食べるんだよ。わかった?」

「うん。わかってるよ」


 去って行く彼女を見送ると、私はまた、今朝見た夢について考え始めていた。彼の背中が、私の心の中から消えてくれない。



 さよならを言うときの、少しさびしそうな瞳が好きだった。
 
 泣きじゃくる私を、必死で宥めようとする彼の笑顔が、私の宝物だった。
 
 もう、あの笑顔が私に向けられないってことを考えると、
 
 私はただ悲しくなって、子どもみたいに泣きたくなるのに、
 
 私のことを慰めてくれる人は、もう私のそばにはいない。



 私は弁当の蓋を閉め、窓の外に広がる青を眺める。

 彼も、見ているのだろうか。そんなことも考える。



 あなたと出会わなかったら・・・。



 そんなことを思ったら、ただ無性に切なくなった。
 
 
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by sinsekaiheto | 2007-02-02 12:34 | 小説

あの向こうに

 
 新しい小説ができたんで、載せますね。


あの向こうに



少年は待っていた。


部屋の隅に置いたトケイから響くコチコチという音を聞きながら、少女の眠るベッドの端に腰掛けて。

少年は待っていた。


少女もまた、待っていた。



                                              

時計のコチコチと、自分自身とを重ね合わせて、そっと息を吐き出しながら。


朝の日差しに、眩しそうに目を細め、鳥の囀りを聞きながら。

少女はゆっくりと、その時が来るのを待っていた。



「お兄ちゃん」


少女のうわ言は、弱々しい冷蔵庫の音にすら、かき消される。

少女は夢を見ている。

目を覚ましたら、少女は消えてしまった夢の断片を追いかけるように、再び、そっと目を閉じる。



しゅーしゅー、とヤカンが頻りに湯気を吐き出す。少年はその冷たい旋律に耳を澄ました。

目を閉じた。

腕を組んでから、深いため息を吐き出した。


カップの中にちょうど沸騰したばかりのお湯を注ぎ込んだ。

ふわりと、レモンの芳しい匂いが広がった。

少年は、少女のもとへとそれを運ぶ。


「麻美、起きてるか?」

少女はもそもそとベッドの中から返事を返す。

「・・・うん。起きてるよ」

「レモン汁、持ってきた。飲めるか?」

「うん。ありがとう。・・・飲むよ」

礼を言って、少女は少年から差し出されたカップを受け取った。

少女はぼんやりとカップの中を踊る淡い黄色を眺めていた。


「ねぇ、お兄ちゃん。今は、何時なのかなぁ」

カップの淵からそっとレモン汁に口をつけて、少女が尋ねる。

「今は、夕方の五時だよ。ほら、夕陽が沈んだ。空が、真っ赤に染まっている。見えるか?」

少女は、窓の向こうに眼をやった。


少し考えるような素振りを見せて、少女はふるふると首を振った。

「見えないや」

少女の声は、残念そうな響きだった。

今、少女の目には、夕陽の赤は映っていない。

レモン汁の黄色も、

大空の青も、

草原の緑も、

何も、何も。

彼女の目は、少しずつ、色を失い始めていた。


「ねぇ、お兄ちゃん」

少女は、少年の名を呼んだ。

少年は、少女の髪の毛を、そっと撫でた。

長くて、黒くて、きれいな髪の毛であった。


「私は、いつ、死ぬのかな」


少女の瞳に、何か暗いものが、翳る。

それを拭い去ることは、少女にも、少年にも、できなかった。


「私の場合は、一体、いつになるのかな」


それは、決められたことである。

巡り、廻っていることである。

少女の次には、確実に、それは少年に襲い掛かる。

世界は、今、崩壊の道を一歩一歩、歩んでいる。


「大丈夫だよ。大丈夫だから」


少年は、少女の髪の毛をそっと掻き分けながら、まるで、自分に言い聞かせるように、そう、呟く。

彼の声は、冷たい部屋の中に、溶けて、なくなる。


部屋の外には、死の世界が広がっている。だから、彼らは、一歩も部屋の外へと出られないのだ。



彼らは、この部屋の中で生まれ、そして、この部屋の中で、死んでいく。


「耳がさ、聞こえづらいんだ。最近。俺も、そろそろだと思う」


その先にあるものを、少年は知らない。

それでも、少しずつ近づいていく。


「麻美・・・、外に出てみようか」


少年は、そう決意する。


少女のために。そして、自分のために。


外に出ることを、決意する。


「お兄ちゃん・・・、大丈夫かな?」


「わからないよ。・・・大丈夫じゃないかも、知れない」


それでも、彼らは外に出る。



「あたしの目が、完全に見えなくなる前に、だよね」


「うん」


少年は、頷く。

そして、彼の耳が、まだ、聞こえているうちに。


「行こう」



少女はベッドの上から起き上がって、ふらふらになりながらも、歩き始める。


彼らは、扉を開ける。


外の世界につながる、扉だった。


その昔、死の灰がばら撒かれた、・・・世界だった。


かつての太陽の面影はそこにはなく、今はただ、暗黒色の丸い塊が、禍々しい光を放っているだけであった。


「白と、黒の世界だね」

少女が呟く。


「ああ。・・・すごく、静かだ」


少年の呟きは、闇の中に溶けていった。


二人の少年と少女が見ているのは、現実だった。


モノクロの世界と、無音の世界だった。


人間の残した、最高で最大の、遺物だった。



「ここで死ぬのも、悪くない、かな?」


影も、光も。

生も、死も。


「・・・うん」


二人は、どちらからともなく、手をつなぐ。


少女のほほを、一筋の涙が、伝って落ちる。


この世界で生きていることの意味は、こんなにも、小さいのだ。


少年は、太陽に向かった。


少女は、少年に寄り添って。


二人は、そのときが来るのを、じっと、静かに、待っていた。



                                                  扉へ
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by sinsekaiheto | 2007-01-25 12:43 | 小説

いつか、桜の木の下で・・・(1)




 ❀           ❀

 桜が散ったら、もう会えなくなっちゃうのかな。
 
今年も、桜は見事に咲いた。
 満開だよ、義時様。
 桜の花びらを手で掬い、空に放り投げるたび、悲しい気持ちでいっぱいになる。

 今年も桜は咲きました。来年も、桜はきっと咲くことでしょう。菜春はその時をずっと待っています。
 あなたを思って、ずっとずっと待っています。

 いつか、桜の木の下で・・・


❀           ❀
 1

冬の寒さが一段と厳しくなった頃、菜春は父である金沢安実(かねさわのやすざね)に呼び出されていた。

「菜春。お前に婿が決まったぞ」

 何の前触れもなく、安実は菜春にそう言った。

「ほよ?婿?」
 菜春は、首をかしげた。その時の菜春はまだ幼くて、婿という言葉の意味がよくわかっていなかったのだ。

 格子を開ければ、白い雪の散らばる庭が見えた。多神ノ城は本国でも一番大きなお城である。菜春は、城主である安実の一人娘で、このとき、まだ六歳になったばかりであった。

「あのね、菜春。お婿さんっているのは、一生を一緒に支えあいながら生きていく人のことを言うのよ」
 菜春の母である晶子が言った。

「・・・一生を一緒に支えあって生きていく人?」

 菜春は、少しの間考え込んだ。一生を一緒に支えあって生きていく人・・・。ああ、そうか。

「お父様とお母様のような人のことを言うのね」

 菜春がそういうと、安実は少し驚いた顔をして、それから豪快な笑みを顔に浮かべた。

「ああ、まあそんな感じだ」
 
 菜春は、初めてお婿さんという言葉を知って、自分にもそのお婿さんができると聞いて、何だか嬉しい気分になった。早くその人に会いたいな、と菜春は思った。

「ねぇ、お父様。その方はなんておっしゃる方なの?」
 菜春は、安実にそう尋ねた。
「ああ、入間義時というものじゃ」

「よしとき・・・?」

 どんな人なのかな。格好よかったり、するのかな。優しい人だったら、いいな。菜春は、まだ見ぬお婿様に思いを馳せて、なんとなく楽しい気持ちになった。

「ねぇ、お父様。菜春、早くその人に会いたいな。ねぇ、いつ会えるかな、いつ・・・」
「まあまあ、菜春や。そう焦らずとも、婿は逃げまい」

 白い雪のちらつく広い庭。安実はチラッと格子窓の外に広がる庭へと視線をやった。外の世界には、白い冬が広がっている。

「桜の花が、咲いたらな」
 安実がぽつりと言った。菜春は「桜・・・」と口の中で小さく繰り返して、たたた、と窓際まで駆けて行った。

 庭には、丸裸にされた桜の木々が植わっていた。花の気配はそこにはなくて、ただ冷たい白が横たわっているだけだった。それを見て菜春は少し落胆した。ああ、まだ春は遠いや。窓の隙間を通り抜けてきた風が、菜春の吐息を白く染めた。

 晶子がするすると菜春の隣まで擦り寄ってきて、彼女の小さな肩に手を置いた。菜春は、不思議そうな瞳で晶子を見上げた。晶子も、菜春と同じように、ずっと庭を見ているのであった。

 その時の晶子の瞳が忘れられない。きりりとした横顔に、黒い陰が落とされていた。

 その時の菜春には、まだ晶子の表情の意味はわからなかった。彼女がそれに気付くのは、もう少し、先のことになる。

❀           ❀

 次の日の晩、菜春は不思議な夢を見た。
 初めは、いつもの夢のようだった。目の前に白い光が見えていて、菜春はゆっくり、その光に向かって降りていった。

 あたりはもう、菜春が何も知らない場所だった。遠くのほうに、扉が見えた。部屋のしきりに使われている、襖障子だった。日光を遮って、明るく、白く輝いている。

 菜春は、ほとんど何も考えずに、その光のさすほうへと向かって歩いていった。体がふわふわと浮かんできるような気がする。これは夢だ、と菜春にはわかっていた。けれど、それが現実で起こることだと言うこともまた、菜春にはわかっているのであった。

 菜春は、夢の中で扉を開けた。外には、光の世界が広がっていた。扉を開けたそのとたん、温かい風が吹いてきて、菜春の長い黒髪を踊らせた。あまりの眩さに、菜春は思わず目をつぶった。けれど、恐る恐る目を開いた次の瞬間、菜春は目の前の光景の、その幻想的な美しさに目を奪われていた。

 菜春は、小さくと息を漏らす。光の世界だ。桜の大木。春の風に舞う、花吹雪。そして、立っている彼。

「だれ、そこにいるの」

 彼の白い着物の裾が、風に吹かれてはたはたと揺れていた。

「よしとき、様?」

 彼が振り返る。菜春は、そんな彼のことをじっと見つめる。まだ若いな、と菜春は思う。私よりは年上だけど、でも「大人」ではない。おそらく、十歳か十一歳か、どうなんだろう。菜春は、首をかしげていた。

 そんな菜春を見て。彼が微笑む。

「始めまして、菜春姫」

 菜春は、思わず息を呑んだ。すっと差し出されたその笑顔は美しいのに、白い靄がかかったように揺れていた。ぶわっと一際強い風が吹き、菜春は腕で目を覆った。桜の花びらが空高くへと舞い上がる。菜春が再び目を開けたとき、彼はもう既にそこにはいなかった。まるで、桜の花びらに混じって飛ばされてしまったかのように。まるで、初めからそこにいなかったかのように、消えて、いなくなってしまっていた。

「・・・よしときさま?」

 後には、菜春と地面を舞い踊る花びらだけが残されていた。

❀           ❀

 城の中での菜春のお気に入りの場所と言えば、厨と厩であった。

 夜中に小腹が減ったときなどにはそっと厨に忍び込んで、食べ物をくすねることもしばしばあった。白の厨女たちは大体において親切で、食べ物をくすねたことも黙認してくれていたので、菜春は彼らのことが好きだった。また、厨女たちの拵えた料理は皆、舌がとろけるほどに美味かった。

 そうして、もう一つのお気に入りの場所が、厩である。

 冬の名残を引きずりながらも、少しずつ春が近づいてきて、鋭かった冷気を次第に丸みを帯び始めた。菜春は昼を少し過ぎた頃に、部屋を抜け出して厩へ向かった。小姓の秀太と話がしたかったからであった。

「秀太!」

 赤毛の馬の背を藁束で擦っていた秀太は、菜春の大声に手を止めた。秀太は菜春の姿を認めると、いつもの笑みを顔に浮かべた。菜春は、秀太のもとへと駆けて行った。周りの小姓に「また仕事が遅れる」と露骨に顔をしかめる者もいたが、菜春はそれを気に留めなかった。

「あのね、あのね、菜春にもね、お婿さんができたんだって」

 菜春は嬉しそうに秀太にそう報告した。秀太は優しい笑み浮かべたまま、手に持っていた藁束を、馬の背中にゆっくりと走らせた。

「良かったですね、姫」
「うん」

 菜春は、満面の笑みを浮かべて、頷いた。秀太は、一緒にいると安心できる数少ない「大人」の一人であった。秀太は菜春の菜春の三倍以上も「大人」なのに、菜春のことを決して子ども扱いしなかった。にへらにへらと含みのある笑いもしなければ、ほかの厩の武士たちのように、突然の悪意を菜春に向けることもない。いつも丁寧な物腰で、優しい笑みを浮かべているのだ。

「でもね菜春、お婿さんって言うのがどういうものなのか、まだよくわかっていないの」

 秀太は一つ頷くと、手に持っていた藁束を休めて、「難しい問題ですね」と呟いた。

「私も、まだ結婚というものをしたことがありませぬから、詳しいことを姫にお教えすることはできませぬが、でも一ついえることといえば、そうですね。その人とは、すっと一緒に支えあいながら生きていく、ということです」
「・・・支えあいながら、ずっと一緒に・・・」
 
 菜春は、呟いた。お母様がおっしゃっていた言葉と、同じだ。

「そうです。支えあいながら、と言うのが一番大切で、それでいて難しいことなのです。人は誰でも、一人では生きていけませんから」

 だれでも、一人では生きていけない。その言葉は、強く菜春の心の中に刻み込まれていった。

「菜春、ちゃんと義時様と仲良くなれるかなぁ・・・」
「なれますとも。姫なら、ちゃんと、その方と仲良くなれますよ」

 そんな風にのんびりと頷いて、秀太は手に持っていた藁束を、再びゆっくりと動かし始めた。背を撫でられた赤毛の馬は、気持ちよさげに鼻を鳴らした。

 菜春は、ぼんやりと秀太の仕事を眺めいた。どんよりとした空気の流れ。かすかに漂う、馬糞の匂いも菜春にはそれほど気にならなかった。(着物に匂いが染み付いてしまうことがあり、そのことにはしばしば閉口したが)そんなことが気にならないくらい、菜春はこの場所のことを気に入っていた。そこに流れる独特なのんびりとした雰囲気が、何よりも菜春は好きだったのだ。


「ねぇ、桜って、まだ咲かないのかなぁ」

 ふと安実の言葉を思い出した菜春は、秀太にそう尋ねていた。
 秀太は、菜春の脈絡のない話にも、辛抱強く付き合ってくれていた。

「あと少しです。桜が咲くのは、もう少し暖かくなってから」
「どうしてぇ?」

 菜春がそう尋ねると、秀太は手を止めて、少し考えるような素振りを見せた。

「何事にも、時機というものがあるのです。桜も同じ。夏には青々としげり、秋に葉を落とし、冬に力を蓄えて、春に見事な花を咲かせるのです」

 そういって、秀太は厩の窓の外へと目をやった。菜春もつられて窓の向こうに目を向ける。裸に剥かれた桜の木々と、それを彩る、白い妖精。

「桜の木々は、今、力を蓄えているのです。より大きく、より美しく、より繊細な花を咲かせるために」

 そこで、自分の言葉を味わうかのように、秀太はいったん言葉を切った。

「それは、とても大切な仕事なのです。たから、焦ってはいけません。大丈夫。桜は咲きます。十年後も二十年後も、我々が生き続けるかぎり、桜は必ず花開きます。だから、待てますよね、菜春姫」

「・・・わかった。菜春、待つ」

 菜春は、そう強く頷いた。
 それを見ていた秀太は微笑んで、

「菜春姫・・・」
「なぁに?」
「幸せに、なってくださいね」
「・・・うん」

 少女は頷いた。顔を上げた時、少女の顔には、満面の笑みが浮かんでいた。

 


 そして、この地にも春がやってくる。

                                             NEXT
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by sinsekaiheto | 2007-01-14 15:56 | 小説

ありふれた日常


 ありふれた日常

 朝起きると、姉が人形に話しかけていた。
 僕は唖然として、そんな姉をぽかんと見ていた。
「は~い、いちらちゃ~ん。今日もいい天気でシュね」
(もい、そうはお~)
 パンダが答えた。白と黒のパンダのぬいぐるみだ。たしか、物置の中で眠っていたはずなのにいつの間に持ち出してきたのだろうか。姉はそのパンダのぬいぐるみをぎゅっと抱きしめた。
「あ、あの、姉ちゃん」
「何よ!文句ある?」
 ぎろりと睨まれて、僕は「べ、べつに」と口ごもった。
 昨日までは普通だった姉は、急におかしな生物になってしまったようだ。土曜日の朝だというのに、家にはなぜか父も母もいなくなって、二人がいるこの部屋以外は物音一つしなかった。
「ねえ、父さんとかあさんはどこに行ったの?」
 ポツリと、僕が尋ねた。姉は首をかしげて、しばらく考え込んだ後、
「父さんは、死んじゃった」
「はぁ?」
「お母さんは、男作って出ていっちゃった」
「へ?なにいってんの?」
 姉は本当に頭がおかしくなったみたいだ。ふふふと僕を見て、その顔に満面の笑みを浮かべた。世にも恐ろしい笑みだった。
「だから、今日はおねえちゃんと二人きりだね?」
 長い一日が始まった。その時僕は悠長にそんなことを考えていた。


 コトリ、と目の前に置かれたそれを見て、僕は目を疑った。
「はい、朝ごはん。いっぱい食べて、もりもり元気になるのよ」
 それは、どこからどう見ても、皿の上においてある、一本のにんじんであった。
「姉ちゃん、これって・・・」
「何よ、あんたあたしの作った料理は食べられないって言うの?この親不孝もの」
 また、すごい目で睨まれた。
「でも、姉ちゃん、今冷蔵庫から取り出して、お皿に乗せただけじゃんか」
 それを料理と言うのなら、世界中のシェフたちが暴動を起こしかねないと思う。
「せめて水で洗って、切るぐらいしてくれないと」
「あんた、そんなんだから社会の成績がいつまでたっても上がらないのよ。授業で習わなかったの?1本の人参を作るのに、農家の人たちは何時間も何時間も迫り来る太陽の殺気と戦っているのよ?」
「いや、それはちょっと違うと思うんだけどな」
 それに彼らはそれでお金をもらっているのだから、いいではないか。
「なに言ってるの?本当に生意気になったわね。いつからそんな子になっちゃったの?お姉ちゃんはそんな子に育てた覚えはありませんよ」
 こんな姉に育てられたような覚えも、僕には無かったのだけれど。
「早く食べて頂戴。お皿を洗わないといけないでしょう」
 ああ忙しい忙しいこんなことだから男の子を生む前に一言言ってくれっておかあさんに頼んでおいたと言うのにあの女と来たらあたしの意見なんてまったく無視しやがってこん畜生、と姉はまったく忙しくなさそうに僕が座っているテーブルの周りをうろうろとした。
「あ、そうだ。お姉ちゃん買い物に行くんだけど、何かお昼に食べたいものとか、ある?」
 できれば食べることのできる奴をお願いします、と僕は投げやりな気持ちで人参にかじりついた。


 確かに何でも良いと言った。けれど、食べれるものを、といったはずなのだ。それなのに、テーブルに置かれたのは赤や緑が何ともいえないドッグフードに牛乳がかかっただけの代物で、もはや人間の食べ物でですらなかったのだ。
「姉ちゃん。ドッグフードだよね。これ」
「そうよ、コーンフレークの要領で牛乳をかけてみたの。美味しそうでしょう」
 けろりと姉はそんなことを言って、カップに入ったアイスを美味しそうに食べた。弟にはドッグフードを食べさせているというのにひどい姉だ。
 牛乳に浮かんだ赤や緑が何とも毒毒しい光を放っている。僕はキッチンまで歩いていって、そのドッグフードを流しに捨てた。お湯を沸かして、カップラーメンを作ることにした。
 リビングから姉が顔を出す。
「手伝おうか?」
「いえ、結構です。」
 謹んでお断りした。そんなことをされたら、カップラーメンが何か得体の知れないものになってしまう。
「そう?じゃああたしは二階でお昼寝してるから。何かあったら起こしにきてね」
 そういって、姉はリビングを出て行った。
 シューシュー、とヤカンが湯気を上げている。家が燃えたって、起こしに行ってやるものか、と思いながらお湯をカップに注ぎこんだ。


 六時を過ぎるまで、の自分の部屋で予習をしていた。それから、咽が渇いたので、リビングまで降りてきた。リビングでは姉が漫才を見ながら、ぽろぽろと涙を流していた。
 僕は、付いていけないと思う。冷たい水を咽に流し込んだ。
「何で泣いてるのさ」
 まともな答えは期待していなかったけれど、一応尋ねた。
「泣いてちゃいけないわけ?この家では、涙を流す権利さえ保障されていないわけなの?ここは自由の国日本なのよ」
「別に、そういうわけじゃないけど」
 今日だけで、いったい何度目だろう。僕は深いため息を吐き出した。
 テレビは若手の漫才コンビを映し出していた。この人たちもかわいそうにと僕は思う。きっと、自分たちの漫才が笑われはしても、それを見て泣かれているであろうとは、夢にも思っていないのだろう。姉には漫才を見せる価値も無いと思う。、
「あ、そうだ、さっき父さんから電話がかかってきてね、十時までには家に帰ってくるって」
 死んだんじゃなかったのか?
「それと、夕ご飯はカレーかグラタンで迷ってたんだけど、漫才見てたら悲しくなってきて、何もやる気がなくなっちゃったから、もう好きなもの作って食べて」
 嘘?ラッキー。うわ、もうなんか涙でそうなくらい嬉しいです。
 僕はカレーでも作ろうか、と冷蔵庫を開けて、目が点になった。
「ちょっと姉ちゃん、何でアイスが冷蔵庫に入ってるの?冷凍庫に入れなきゃだめじゃん。べとべとに溶け出してるんだけど」
「うるさいなぁ。今良い所なんだから、黙ってなさい」
 ブラウン管に穴が開くのかと思うぐらい真剣に、姉はCMを凝視している。
「CMでそんなに熱くなられても困るんだけど。って、おい。姉ちゃん。これカレーのルーじゃなくてシチューのルーだって、なに間違ってるんだよ」
 姉はぽかんと口をあけて、僕に尋ねた。
「・・・どう違うの?」
 ふ、そんなことだろうと思ったよ。
 僕は敗れ去った落ち武者の気持ちがわかってしまいそうになっていた。
「もういいよ、今日はマックで喰うからさ」
 また、財布が軽くなるけど、この際仕方ない、と思うことにした。


 家にかえると、父も母も帰ってきていて、ついでにペットのネムも扇風機の前でごろごろしていて、僕は余りにもありふれた日常に、思わず涙が出てきそうになった。
 二階から姉が降りてきて、玄関で僕を迎えた。
「おかえり」
「ただいま」
 姉が僕に、笑いかけた。
「今日は、とんだ災難だったね」
「本当。まったくだ」
 玄関には、小さなあやめが、僕の知らないうちに活けてあった。
     
(END)
 この物語はフィクションです。

                                                    
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by sinsekaiheto | 2007-01-13 20:09 | 小説

キミといた夏



あの日
あたしたちが見ていたものは
きっと、もうこの世にはないのだろう
あの
美しい夕焼けも
彼の
輝いていた横顔も
消えてしまった全ての物のために
あたしたちは
世界をつかむ

キミといた夏

❧                 ❦

 世界が、あのときから変わってしまった。
 
 じっくり考える暇も無く、あたしたちは中学生になり、高校生になり、彼はあたしの手の届かないところにいってしまった。
 
 けれど、追いかけようとも思わない。そこにあるのが、きっと自然で、彼には、誰よりもそこが似合うから。
 
 あたしは、真昼の明るく暑い世界の下を、歩いていた。蝉が、夏の暑さにやられたように、ぽとりと落ちた。ふと空を見上げると、どこよりも高いところに、くっきりと白く浮かぶ雲があった。アイスを食べながら、はしゃぐ子供たち。アスファルトに刻み込まれた、バイクの淡い影法師。あたしは街の中を、死と生の世界へと向かって歩いている。きっと、誰よりも深く、この風景を心に刻んで。

「よう!由希」

 彼のところへ行くと、彼はあたしの姿を見つけて、微笑んだ。あたしの心に、少しでも長く、元気な姿が刻まれるように。彼は必死に、笑顔を見せる。

 白と、死の世界の淵で、彼はひっそりとそれが来るのを待っていた。暇なときには、テレビを眺めて、それでも確実に近づいているそれに、怯えて、どうしようもなくなる感情を押し殺して、あたしに笑顔を見せてくれる。だから、あたしも答えなくてはいけないと、思ってしまう。明るく、元気に。

「ちゃんと生きてるか?芳雪」

 彼はへらっと気の抜けた笑みを見せた。それでとりあえずは安心することができるから。

「りんご、持ってきた。喰えるか?」

「ああ、喰う喰う。切って切って。腹減って、大変だったんだよ、本当」

 あたしは苦笑して、それでも彼のためにりんごを切ってやる。不器用に果物ナイフを動かして。それを眺める彼の笑顔はとてもいとおしい。この笑顔をいつまでもあたしのそばに残しておきたい、と強く思うのに、それはきっともう叶わない。勝ち目の無い恋をしてしまった。自分を傷つけるためだけの、悲しい恋を。

「由希ってさ、不器用だよね」

「うるさい」

 彼はあたしに怒られると、嬉しそうに目を細めた。

「なぁ・・・」

「何・・・」

 あたしが聞くと、彼は一瞬困ったような表情をして、そして「やっぱ、いいや」と明るく言った。

 テレビをつける。最近流行りだしてきたピン芸人がねたを見せていた。観客が沸いた。彼も隣でおかしそうに笑っている。「こいつ、サイコー」そう言って、腹を抱える。あたしは隣で、苦笑していた。

 二時間ぐらい、そうやってまた時間をつぶした。そうやっている間、彼はずっとあたしの髪の毛を撫でていた。「由希の髪の毛って、さらさらしてるのな」そんなことを言っていた。

 帰る時間が来て、あたしは立ち上がった。

「そろそろ、帰るな」

 そういうと、彼はすごく寂しそうな表情を見せ、すぐにそれをパッと消して、あたしを見て手を振った。

「おう!ばいばい。また明日も来てくれるのか?」

「ああ、行くよ」

 なんだよ、やっぱ寂しいんじゃないか。素直じゃないなぁ。あたしはそんなことを思った。

 あたしは、彼の部屋を後にして、また、家に帰るために明るくて暑い世界の下をとぼとぼ歩いた。どこまでも続く青空を、淡く飛散しつつある飛行機雲が彩っていた。

 世界が、あのときから変わってしまった。
 追いかけようとも、もう思わない。
 それぐらい、あたしと彼の距離は遠くて、それでも必死に手を伸ばしたら、すぐにでも消えてしまいそうだから。
 あたしは、必死に作り笑いを浮かべている。
 ちょうど、彼がそうしてくれたときのように。



❧                 ❦

 時間は戻ってきてくれないのだということを、あたしは誰よりも強く知っている。時間が決して連続していないと言うことも。いや、むしろ時間はあらゆるところでぶちぶち切れて、捻じ曲がり螺旋模様を描きながら、それでもあたしたちをどこかへと連れて行くのである。

 三段アイスを買ってもらえば、それだけで機嫌が良くなった夏は、もうあたしの中にはいない。あたしたちは、それと引き換えに何を手に入れたのだろうとふと考えた。もしどうしようもないくらい辛くて悲しい気持ちになったとしても、あたしはもう、その気持ちと折り合いをつけることができるようになってしまった。それは多分、「諦める」という感情にとても似ている。

 いつものように、お昼を過ぎたら彼のところに行くことにした。夏休みも、もう数えるぐらいしか残っていない。あたしは、小学生だった頃のことを思い出した。あの頃は、夏休みの最後の日が近づくたびに、学校に行きたくない、とうるさく騒いでいたものだった。でも、今はもう、そんな風な子供でもない。時間は連続していないのだ。あの頃のあたしはもう、どこにもいない。

 彼の部屋に着くと、彼はテレビゲームをして遊んでいた。身体を半分ベッドから起こして、点滴の針は刺さったままで。昔の彼の面影も、やっぱり少しずつ揺らいでいって、少しずつ消えていくのであった。

「起きてて大丈夫なの?」

 あたしは思わず、そう聞いていた。

「ああ、今日はだいぶ調子が良いからさ」

 格闘ゲームだ。彼が負けてしまったのだろう。You lose.の文字が画面を躍った。「あーあ、負けちまった」と呟いて、彼はコントローラーをベッドの上に放りだした。

「下手くそ」

「お前が話しかけたからだぞ。いいとこだったのに」

 彼は悔しそうに握りこぶしを作って、すぐにそれを解いた。そして、悲しそうに笑った。点滴が刺さったままの腕が、妙に白くて、痛々しかった。それでも、あたしは目を逸らすことができなかった。彼の全てを受け入れよう。彼の全てをこの瞳に刻みつけよう。あたしは必死だったのだ。

 彼が何かを思い出したように、ポツリと呟いた。

「なあ、由希」

「うん?」

「俺が死んだらさ、お前、悲しんでくれる?」

「何言ってんのよ・・・そんなこと・・・」

 あたしは必死で言葉を探した。彼に何かを伝えなくてはいけない。そう思うのだけど、何も言葉は浮かんでこなくて、代わりに涙が零れ落ちそうになった。彼の前で泣くのは嫌だったので、あたしはまた必死で我慢しなければいけない。泣いたぐらいじゃ、彼が戻ってはこないことも、知っている。それでも、彼の口から「死ぬ」なんて言葉を聞いてしまったら、もうどうしようもないぐらい悲しくて、泣きたくなって、でも彼の前で弱いところを見せるのはもっと嫌で、あたしは握りこぶしを固めて、必死に泣くまいと努力して、立ちすくむことしかできなかったのだ。

 だから、必死の笑みを浮かべて、

「いいよ、悲しんであげる」

 彼も笑った。それは心のそこからの笑みだったように、あたしは思った。

「ありがとな」

 病室の薄暗い部屋の中に、彼の言葉が響く。いま、この部屋には、彼とあたしとしかいない。だから、抱きしめたいと思うのに、それは絶対に叶わなくて、悲しくて、また泣きそうになって、そっと彼の小さな掌に自分の掌を重ね合わせて、「うん」と頷いた。「ありがとな」「うん」それを、忘れないように、頭の中で繰り返した。

「由希、俺、お前のことが好きだよ」
「知ってるよ」

 あたしも、あんたのことが好き。

 やっぱりその言葉は涙声になってしまって、最後まで言うことができなかった。

❧                 ❦

 いつの間にか、彼のベッドに突っ伏したまま、眠ってしまったのだろう。時計の針は六時を回って、窓の外には、どこまでも透き通った夕焼けが広がっていた。彼は食い入るようにそれを見つめて、あたしが起きたことにも気付いていない様子だった。

「何してるの?」

「いや、きれいだな、って思って」

 あたしは立ち上がって、窓のところのカーテンを広げてやった。見える範囲が広くなった。

「サンキュー」

「おう」

 それだけ話すと、暫くは何もいわずに、二人でずっと窓の外に広がる夕焼けを見ていた。原色よりも、美しい夕焼け。ここだけにしかない、二人だけの宝物のような気がしてくる。それでも、少しずつ消えていってしまうのが、なんだか悲しかった。そして、やっぱりそういうものなんだな。と、そう思えるようにもなった。

「あんたに会えて、よかった」

「うん、なんで?」

「さあ、考えてごらん」

 彼には、一つの宿題を与えることにした。二人で過ごす最初で最後の夏休み。夏休みに、きっと宿題はつきものだから。

「もう、帰るね。お母さんと約束があるから」

「ふーん、どこかに行くんだ」

「そうだよ」

 あたしは、そういって、病室を後にした。

 駐輪所に置いてあった自転車に飛び乗って、あたしはデパートへの道へと自転車を走らせた。

 一つの嘘を残して、あたしは彼のもとを去る。彼がそれに気付くことは、きっと無いだろう。でも、それでも良いと、あたしは思った。それでもいい。あたしの中には、ずっと彼がいるのだから、それでも良いと思えたのだ。

❧                 ❦

 その日、あたしは彼のために、お小遣いを全て使って、銀色の十字架のネックレスを買った。それを渡せるかどうかはわからないけど、でもきっと、あたしの願いは叶う気がする。こんなにも、小さな願い事なのだから。だから、きっと、必ず。

 もうすぐ、彼の誕生日がやってくる。
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by sinsekaiheto | 2007-01-12 12:36 | 小説

二人の空に



                     二人の空に

 粟暮村の通りに、灯がともった。
「美春、すごいよ。ほら、こっち」
 遠くで、花火の上がる音が聞こえた。
「幸(さち)?」
 手を引かれて走り出す。村のはずれにある少女の家から、花宮通りへと続く道を走りぬける。
「ちょっと、待ってよ。どうしたのよ、急に。幸」
 幸は満面の笑みを浮かべた。
「旅の人たちが来てるんだって」
「え、うそ!!」
 少女が目を丸くして、二人は再び転がるように駆け出した。
「旅の人」たちが来ているんだ。少女はそんな風に考えて、胸の鼓動が少しずつ、早くなるのを感じていた。旅の人たちが来る。秋はもうそこまで近づいている。あれから、もう一年もたったのだ。すごく懐かしくて、そして少しほろ苦い感情が、少女の中であふれ出していた。
 囃子の音がもうそこまで近づいている。花火が、夕空の中にはじけて散った。並んだ提灯の赤く淡い光が、少女の目の前に広がった。遠くから、太鼓を叩きながら近づいてくる人たちがいる。祭りの夜だった。道の両脇には出店がずらりと立ち並び、金魚を掬って遊ぶ子供たちの姿があった。たくさんの人たちが、華やかな笑顔で歌い、踊り、通り過ぎていく。祭りの夜だ。唐笠の祭りは旅の人たちを歓迎して、一年に一度行われる。
「どうしたの、美春?」
 石段の前で、急に立ち止まった美春に幸が聞いた。
「ねえ、幸。十分でいいから、ちょっとだけここで待っててくれないかな。お願い」
「え、いいけど・・・。誰かと待ち合わせしてる、とか?」
「う、うん。絶対だよ。ここにいてね」
 そういうと、少女はもときた道を引き返した。
 それは、もう一年も前のお話だ。彼があの約束を覚えているとは限らないし、今日はあの場所には現れないかもしれない。でも、美春は確信していた。根拠は無いけれど、あの場所に彼がいるということを。
「刹那!」
 少女は叫ぶ。少年はゆっくりと振り返る。
 これは、そんな少年と少女の物語。


*           一年前            *


「旅の人」たちが来ることは、村で一番仲の良い幸から聞いて知っていた。彼らは毎年、夏の終わり頃にやってきて、秋の初めには去っていく。美春は、なぜ「旅の人」たちが自分たちの村にやって来るかを知らなかったし、そもそも、「旅の人」たちのことについてはまったくといっていいほど何も知らなかったのだが、毎年「旅の人」と言う言葉を聞くと、またあの季節がやってくるのか、と懐かしく思うようになっていた。
 朝日とともに、美春の一日は始まる。粟暮村のはずれに、美春の家はあった。三年前に母が病気で他界してからは、美春はずっと姉の初美との二人暮しである。あの日も、朝早くに起きた美春は、朝に弱い初美をたたき起こして、村のりんご売りの少年から、りんごを買った。
「おはよう。今日もお疲れ様」
「ああ、うん。おはよう」
 りんご売りの少年と挨拶を交わす。彼は名前を正平といった。
「今日はサービスでりんご三つね」
 美春にりんごを手渡しながら、正平が言った。手渡されたりんごはいつもより一つ多かった。
「ありがとう」
 美春はにっこりと笑って、礼を言った。少年はてれたように頭を下げると、「毎度!」と言って駆け出した。美春は朝の眩い光の中に、彼の背中を見送った。
 家の中に戻ると、炊事場で初美がごそごそと朝餉の準備をしていた。美春もそれを手伝おうとしたが、初美にそれを止められた。
「いいんだよ、たまにはさ。あんたは働きすぎなんだから。ほら、あそこに座って、朝餉ができるまで、ボーとしてな」
「姉さんこそ、指切らないように気をつけてよ」
 炊事場の姉に声をかけ、座卓の前に腰を下ろした。
 夏の、セミの、声が聞こえる。
 美春はそぉっとセミの声に耳を傾けた。思えば母が他界してからは、こんな風に何も考えずにすごす時間など、数えるほどしかなかったのだ。
 母が他界してからの三年間。それは長いようで短かった。思えば、もうこんなところまで来てしまった。
 もうすぐ、美春は十四になる。
「姉さん、そういえば旅の人たちが来てるって、幸が言ってたよ。多分、今日あたりに市が安くなるだろうから、私が買い物に行ってこようか?」
 美春がそういうと、初美はコクリと頷いた。
「そうね、もうそんな季節になったのね」
 彼らは毎年、夏の終わりにやってきて、秋の初めには去っていく。初美はしみじみとそんなことを呟いた。
 座卓の上に並べられた料理は、どれも皆美春の好物であった。湯気の立つおみおつけに美味そうな玉子焼き。青菜に焼き魚が二匹。初美の料理の腕は、母親譲りのものであった。
「どう?おいしいかい?」
 美春はほうばっていた白米を飲み込んで、答えた。
「はい」
 初美は嬉しそうに微笑んだ。
「何もそんなに急いで食べることなんて無いんだよ。朝餉が逃げるわけでもないんだからね」
 美春は麦茶の入った器を一気に飲み干した。
「でも、そろそろ市に行かないと・・・」
 市は遠い。今から出かけねば」、帰って来る頃には日が沈んで辺りが暗くなってしまう。それまでには、なんとしてでも家に帰ってきたかった。暗くなると、山賊も出るし、一人で夜道を歩くのは、とても危険だ。
「本当に大丈夫かい、一人で行って。心配だな、なんか」
「大丈夫よ、姉さん。もう何度も通ってきた道なんだし。それに、私はもう十四よ。恵子なんてもう嫁に行ったわ。だから、もう子ども扱いしないで」
 美春は同い年の、村の少女の名を挙げた。
 初美は小さく苦笑をもらす。
「はいはい。わかったから。気をつけていくんだよ」
「はい」
 朝餉を食べ終わった美春は、箸をおいて、「ご馳走様」と手を合わせた。急いで身支度を済ませ、草履を履いて、篠で作ったかごを背負った。背中のほうから、初美の声が降ってきた。
「行ってらっしゃい。気をつけてね」
 美春は振り返った。優しい笑みを浮かべた初美がそこには立っていた。美春も、満面の笑みを浮かべて、初美に言った。
「はい。姉さん」
 元気よく、美春は外に飛び出していった。朝のうららかな空気の中を、駆けていく少女。そんな美春の姿を、初美は静かに見送っていた。


*           市場の朝            *


 村で育った美春は、何だか市の人込みが苦手だった。村の娘たちと一緒に祭りに行ったときにも、いつもどこかで逃げ出したいと思っていた。別に人込みの中に紛れた誰かに後ろから刀で切りつけられるとは思っていないけれども、初美と二人で過ごすあの家のほうが、やはり平和で、自分にもあっていると、美春は思っているのであった。
 夏の日差し、セミの声。止まることをしらない、人の波。市についた美春は、その人の多さに少々うんざりしていた。
 昼間は市が一等こむ時間である。正午より少し前に市についた美春は人込みの中を縫って歩いた。後ろを歩いていた人が、自分の前を早足で通り過ぎるたび、美春はそれを冷や冷やと見送らなければならなかった。篠のかごを抱えるように両手で持った。立ち並んだ出店からは、魚や肉や野菜や、そういったものを売る声が次々と聞こえてくる。
――あ、まただ。
 頭の奥のどこかよくわからない場所が、小さく疼くように痛むのを感じた。どうしてだろうか。市に来て、この人込みの中を歩くたびに、なぜか頭が痛むのだった。
 魚と肉と茶の葉を買って、美春は逃げるように市を出た。小さな篠のかごはそれを入れただけで、もう充分に重くなってしまっている。それを背負って、少し前かがみになりながら、美春は村まで続くなだらかな坂道を、歩いて登った。真昼の太陽がこうこうと美春の背中を照らし出していた。
――うー、やっぱりきつい。
 この坂を登ると、いつも汗だくになってしまう。心の臓がすぐにばたばたと暴れだし、呼吸が乱れる。美春は母のように丈夫にできていない自分を情けなく思った。生前の母は剛気な人だった。二人の娘を女手一つで育て上げ、村の男衆にも一目置かれていた。それに比べて、自分はどうだ。坂を上るだけで息が上がる。力の感じられない、細い腕。それは、美春のコンプレックスでもあった。
 太陽がキラリと照りつけてくる。坂の上にくっきりと、美春の影法師が刻まれる。
 そういえば、私はもっと幼い頃から病気がちだった、と美春は思い出していた。このくらいの坂ですぐに息が上がってしまうくらいなのだから、余り体力も備わっていないのだろう。いつもは姉さんと共に来て、かごも姉さんにおぶってもらっている。姉さんはかごを背負いながらも、この坂をひょいひょい登るから、申し訳なく思うけど、けっこう助かっていたりするのだ。
 美春は黙々と坂を登り続けた。夏の終わり、セミの声。美春の額の辺りから、だらだらと汗が零れ落ちた。風がまとわりつくように暑い。しっかりと刻み込まれた影法師。一人で、坂を歩き続ける。暑い。美春の体にまといつく。暑い。どこまでも、坂が続いていく。暑い。ぎらぎらと太陽が照りつける。
 その時、またあの痛みが美春を襲った。それは先ほどの痛みよりも激しいものであった。頭ががんがんとひび割れるように痛む。美春はふらふらとその場にしゃがみ込んでしまった。美春は喘いだ。頭の奥のどこかよくわからないところが、熱を持ち始める。目をつぶる。熱の中に、意識を吸い取られそうになった。
 歯を食いしばって、痛みに耐えた。目を閉じていると、頭の中が靄で覆われたように白くなって、なぜか目蓋の裏に人影を感じたような気がした。それは少年の微笑んでいる姿であった。
 一瞬が永遠に感じられる。何かに打たれたように、美春は顔を上げた。人影が見える。そこには、その少年が立っていた。
 美春を見て、少年は驚いたような顔をした。彼は、何かを考え込むように、一瞬動きを止めていたが、すぐにしゃがみ込んで、美春に声をかけた。
「どうした。どこか具合でも悪いのか?」
 美春は、どうにか頭(かぶり)を振った。優しそうな人だったけれど、油断はいけないと、そう思った。
「だ、だいじょうぶです」
「ほんとうか?顔が青いぞ。荷を持ってやるから、木陰で休め」
 そう言って、少年は美春が背負っていたかごを自分で持った。竹の水筒を取り出して飲ませ、美春を木陰まで連れて行った。
「大丈夫か?歩けるか?」
「はい、大丈夫です」
 不思議なことに、少年が声を掛けてくれるたびに、頭の痛みが引いていくのを、美春は感じていた。
 坂道を少し外れたところの木陰で、美春は休んだ。木の根元に腰掛けて、竹の葉に包んだ握り飯を広げた。助けてもらったのだし、と美春は少年にも握り飯を勧めたが、「俺はいい」と断られた。昼はもう食ってきたのだ、と少年は言った。
「あんた、名前は何で言うんだ?」
 少年はなんだか面倒くさそうに、美春に尋ねた。
「・・・美春」
 ふむ、と少年は黙り込んでしまった。ぶっきらぼうな感じがしたかもしれないと思い、美春は慌てて付け加えた。
「美しい春、って書くの」
「そうか。美しい春か・・・」
 少年は少し何かを思い出すような遠い目をして、そしてポツリと呟いた。
「いい名前だな」
 美春は照れくさそうに、はにかんだような笑顔を見せた。名前をほめられたことが嬉しかった。
 木陰で休んでいると、さっきまでの暑さが余り気にならなくなった。時々吹いてくる冷たい風に、美春の髪の毛がふわりと舞った。頭の痛みが、いつの間にか消えていることに、美春は気付いていた。今から急いで出発して家に戻らなければ、日が暮れてしまうことにも、彼女は気付いている。けれど、なぜなのだろう。もう少し、こうしてこのままこの少年のそばにいたい、とそんな気がしたのだ。
「ねえ、名前は、なんていうの?」
 美春は、彼に尋ねた。
「・・・刹那(せつな)」
 少年が答えた。美春は、その名前を心の中で繰り返した。
「ねえ、刹那って、旅の人だよね」
「ああ」
 刹那が小さく頷いた。「旅の人」と直接話すのは、初めてだった。「旅の人」と自分たちとを見分けるのは簡単だ。まず、着ている服が違う。美春も詳しくは知らないのだか、彼らは異国の民族衣装のような服を身に着けている。それに、肌の色も少し薄くて、彼らはみな腰に小さな笛のようなものをぶら下げていた。
 美春は、ふと村長の言葉を思い出していた。「旅の人」も、大昔は我らと同じだったのだ、と。いつからか、道は分かれてしまったが、祖国への思いは、今も昔も。変わらないものなのだ、と。
「えーと、刹那は、どうして今日ここに?おつかいか何か?」
「ああ、用事が済んで、暇になったから、ぶらぶらしていた」
「へぇ~、そうなんだ」
 美春は軽く相槌を打った。
「美春は?市におつかいか?」
 美春は頷く。彼は「ふうん」と呟いて、黙り込んでしまった。
 不思議な人だ、と美春は隣に座る少年を見て、ぼんやりとそう思った。受け答えはなんとなくぶっきらぼうな感じがするが、不思議と、それが不快ではない。それに、村の少年たちとも、またどこか違うような気がする。うまく言うことはできないが「大人」なのだと、そんな風にも思う。
「旅の人たちって、世界中を旅するの?」
 少女は尋ねた。刹那は頷く。
「だいたい二週間ぐらいで、色んな世界を転々としている。商売をして、俺たちは生活をしているんだ」
「じゃあ、色んな世界を見てきたのね」
「ああ」
 なるほど、と思った。だからこんな風に大人びているのか、とも思った。
 セミの声が止んで、空に少しずつ陰りが見え始めた。風が強く吹き始める。雨が降るかもしれないな、と美春は思った。握り飯を平らげ、竹の包みをきれいに折りたたんだ。
「美春は、そろそろ帰らないといけないのか?」
 刹那の問いに、美春はこくんと頷いた。
「雨が降ってきたら、ちょっと困るから。それにじきに暗くなるけど、そうなったらもっと困るから」
 だから、今すぐにでも出発しないといけないのに、と頭ではわかっているのだが、それでいても、体が嫌々をするように、動き出そうとしなかった。
 刹那は立ち上がった。そして、美春の心の中の「どうしよう」を読み取ったかのように、言った。
「送って行ってやろうか?」
「え?本当?」
 少女が聞き返すと、少年は笑った。太陽のような笑みを浮かべた。
「今日だけ、特別だからな」


*           誰かの背に            *



 美春は、彼が腰にぶら下げていた笛を吹くところを見た。

「美春は、粟暮村に住んでいるのだな?」
「うん」
 そう尋ねると、刹那は、腰にぶら下げていた笛の紐を解いた。
「本当はいけないことだけど、今日だけは特別だからな」
 そんなことをいたずらっぽく言うと、彼はそれを高らかに空に向かって響かせた。一瞬、美春は、木々のざわめきを聞いた気がした。笛の音は空気を震わす澄んだ清きものだったのだ。
 あまりの美しさに、彼がその笛を吹き終わるまで、美春はただ呆然としていた。不思議な音色だった。まるで、遠い昔の出来事を語っているような、そんな音だった。
「ねぇ、いまの・・・」
「まあ、まて」
 そう言って、刹那は美春の言葉を手で制した。
 何が起きるのだろうか。どこか遠くのほうで鈴の音が聞こえたような気がした。
「刹那・・・?」
 美春が彼の名を呼んだ、そのときだった。
 大気を震わしながらやってくるそれを、確かに見た。美晴は我が目を疑った。鈴の音が聞こえる。白い光に包まれたそれはどこか遠くの空からやってきて、今、二人の目の前に立っている。
 白い光に包まれたその姿は、まるで・・・。
「天馬に乗るのは、初めてだろ?」
 彼が言った。
「てん、ま・・・」
 美春は圧倒されていた。これが、天馬なのだろうか。美しい馬だった。凛々しく、神々しい馬だった。美春は、背に冷たいものを感じていた。その神秘的なまでに美しい姿は、まさにこの世の正しい部分で、美春はそれに空恐ろしいものを感じていたのだ。
「天馬は、昔から神の使者として崇め奉られていたんだ。俺たちの守り神だよ」
 刹那は言った。彼は、天馬の背に飛び乗ると、美春を手招きした。
「ほら、ぼーっとしてないで、早く乗れ」
「は、はい」
 美春もあわてて天馬の背中に飛び乗った。けれど、慣れていないものだから足が滑って落っこちてしまいそうになった。そんな美春を刹那が支えてくれていた。
「あ、ありがとう」
「ああ。でも、しっかりとつかまっておれよ。でないと、振り落とされるからな」
 頷いて、美春は刹那の腰に手を回した。少し恥ずかしかったけれどそれを刹那に悟られたら余計に恥ずかしいと思い、美春はずっと黙っていた。
「いくぞ!」
 刹那が手綱に手をかけると、まるで人間の言葉がわかるかのように、天馬はゆっくりと走り始めた。
「刹那?」
「うん?」
「ありがとう」
「ああ」
 天馬が駆け出した。周りの景色が霞んで見えるほどの速さだった。美春は振り落とされそうになり、あわてて刹那の背中にしがみついた。刹那の背中は大きくて、暖かかった。
「ほれ、粟暮村が見えてきた」
 刹那の声に顔を上げると、遠くに美春の村が広がっていた。でも、それは同時に別れの時刻が近づいている証拠だった。それを思うと、なぜだろうか、美春の心は悲しくなった。
 天馬が駆けた。一足ごとに村が近づいてくる。
 夏の野を、二人を乗せた天馬が、駆け抜けていく。




*           祭りの夜           *


 それでも、美春の生活は、「日常」の域を出ないまま、変わらない速度で、まわり続けていた。朝に弱い初美を起こし、りんご売りの少年と言葉を交わし、二人分の朝餉を作る。夏の風も少しずつ、秋の気配を帯び始め、暑さも少しずつ、すごしやすいものに変わっていった。
 そして、秋が本格的に村へと顔を出したとき、唐笠の祭りが行われた。
 その日、美春は初美からもらった少ない小遣いで、捩じり飴を買った。
 粟暮村の通りに灯がともった。美春は村でも一等仲の良い少女、幸と共に唐笠の祭りの夜を過ごした。幸は美春よりも一つ年下の十三歳の少女だ。兄と弟、父と母との五人で暮らしている。
「ねえ、美春。お団子食べない?私、おなかすいてきちゃった」
 向こうのほうに「団子」と書かれた幟があった。幸はそれを指差して、言った。
「いいけど、私あんまりお金持ってないよ。さっき捩じり飴買ったばかりだし・・・」
「大丈夫、大丈夫。美春の分も私が買ってあげるから」
「いいの?」
「いいよ」
 そう言うと、すぐに幸は団子屋のほうへと人を掻き分けいってしまった。美春も慌てて後を追った。人込みを掻き分けて歩くのは苦手だ。美春は人の波に流されそうになりながら、幸の姿を追って歩いた。
 綿菓子を買ってもらってはしゃぐ子供たち。狐のお面をつけた町の芸人。唐笠の祭りには、実にたくさんの人が訪れる。粟暮村が、一年で一番華やぐときだ。
「おばちゃーん・お団子二つくださいな」
「はいよー」
 幸が元気よく店のおばちゃんに声をかけた。幸は活発で明るい女の子だ。美春はどちらかというと控えめで大人しい性格なので。そんな幸の性格が、羨ましかった。幸は、自分にはないものをたくさん持っている。幸といると、美春はなんだか新鮮な気持ちになれるのだった。
 通りを右に折れたところの石段に腰掛けて、二人は団子を食べることにした。団子は河が香ばしく焼けていて、甘かった。ふたりで、「おいしいね」と言い合いながら、パクパク食べた。
「人がいっぱいだね。幸」
「うん。本当」
 美春の呟きに幸が頷いた。美春はぼんやりと花宮通りを見つめていた。華やかな着物に身を包んだ人たちや、ぽんぽん飛び跳ねる紙風船。菓子の甘い匂いが、ふわりとそこら中に漂っていた。
「すごい。きれいだね。美春」
「・・・うん」
 美春は花火を見ながら、別のことを考えていた。この前あったあの少年のことだった。
――刹那も、どこかで、この花火を見てるのかなぁ。
 夕空の中にとけていく花火を見つめながら、美春はポツリと呟いた。
「ねえ、幸ってさぁ・・・。好きな人とか、いる?」
 幸が美春のほうを見た。彼女の顔が花火の赤に照らされた。
「いるよ」
 幸はまた。通りのほうに目を戻した。その横顔が、何だか照れくさそうに、笑った。
「美春は?いるの?」
「うん。いるよ」
 刹那の顔が頭に浮かんだ。幸が先に言ってくれたので、口に出して言いやすかった。
「でも、もしかしたら、ずっと、もうその人とは会えないかもしれない。会いたくてもね、海の向こうで、異国で、遠いから。だから、向こうのほうに行っちゃったら、もう会えないかも」
 花火がもう一つ、空に向かって打ちあがる。
幸が口を開いた。
「それって、ひょっとして、旅の人、とか?」
美春は幸のほうを見て、それから、小さく頷いた。
「・・・うん」
「そっか。大変だね。美春も」
そんな幸の口調が、何だかおかしかった。
 夏の夜空へと羽ばたく花火が二人の少女の小さな影を照らし出していた。
「気持ちは、伝えたの?」
 美春はふるふると首を振った。
「伝えないの?」
「・・・どうしよう」
 美春はポツリと呟いた。そんな美春を見て、幸が言った。
「勇気だしなよ、美春。今しなかったら、絶対あとから、ずっと後悔することになっちゃうよ」
 幸の言葉に、はっとなった。
「このお祭りが終ったら、旅の人たち、この村を出ちゃうよ」
「わかってる。わかってるけど・・・」
 美春は返答に困っていた。
「私、ここで待っててあげるから。だから、行ってきなよ。」
「幸・・・」
 決断しないといけない。迷っている時間は、なかった。
美春は立ち上がった。そして、振り向かずに、言った。
「ありがとう」
 「うん」と頷いた幸は、きっと優しい笑みを浮かべて、私のことを見守ってくれている。そんな風に、美春は思った。
 少女は駆け出す。
 夏空を、ひときわ大きな花の妖精が、パッと開いた。


*           エピローグ           *


 少年は、去年とまったく同じ場所にいた。
「刹那!」
 少女は叫ぶ。彼はゆっくりと振り返る。
「久しぶり」
 彼が笑った。それは、少女が長い間、ずっと求めてきた笑顔だった。
「約束、覚えてくれてたのね」
「忘れるわけが無いだろう」
 彼がいたずらっぽい表情を見せた。
「うん」
少女は頷く。やっと、二人の時間が繋がったような気がした。
二人はしばらく、打ち上げられる花火をじっと見ていた。
「美春」
「うん?」
 少年が言った。
「好きだ」
「・・・うん」
 少年の腕が伸びてきて、少女の身体をふわりと抱いた。
「ありがとう」
 少女も、ポツリと呟いた。
「私も・・・好きだよ」
 少年の腕に、力がこもる。
 二人の空を、花火が埋める。
 
 そう。だからこれは、そんな少年と少女の物語。
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by sinsekaiheto | 2006-08-30 16:26 | 小説