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不器用な恋の終わりに(5)

 
 続き・・・



  あの日も、そういえば雨が降っていた。

 その日は朝から体調があまり良くなくて、友人が言うところの「髪のように白い顔」を引きずりながら、夏美は薄暗い校舎の中を歩いていた。もう半分ほどがたの来た中学の校舎は、露のせいか至る所で露点に達して、コンクリートの壁を鈍く汚く光らせている。夏美は友達に言われるままに部活動を早めに切り上げて、二回の廊下をとぼとぼと歩いていたのだった。

 空気はじっとりと湿り気をおび、どす黒い空からは慌しく雨粒たちがふり落ちてくる。夏見はふと立ち止まり、暫くそこで窓の外を眺めてから、またもときた道に引き返した。傘を忘れていたことに、気がついたのだ。

 二年五組の教室は四階建ての校舎の最上階に位置している。四時半をまわり、雨の日の薄暗さも手伝って、放課後の校舎は、例えばそれ自体がじっくりしっとりと呼吸しているかのように、どこか独特の雰囲気を醸し出していた。夏美は傘たての中から自分の傘を引き抜いた。早いところ帰ろう、雨がこれ以上ひどくなる前に、帰って布団をかぶって眠ってしまおう。夏美はそう思ったけれど、扉の前を通り過ぎようとしたときに、足がはたっと止まってしまった。少しだけ開いた教室の扉から中の光が洩れ出ていて、そこから人の声が聞こえたのだ。

「秋人、麻美の告白断ったんだって?」
「・・・ああ、うん」

 秋人がいる。彼の声が聞こえてきた。夏見はそっと教室の中を覗き見た。秋人の周りに三人の男子たちがいて、暇つぶしなのかなんなのか、十円玉を机の上に広げ、それを指で弾いて遊んでいた。夏美は、何だか後ろめたい気分になった。こんなときに、こんなところで、こんな場面に出くわすなんて。一瞬の逡巡。多分、全部雨のせいだ、と夏美は思った。盗み聞きなんていけないことだと知りつつも、全てを雨のせいにして、結局暫く彼らの会話に聞き耳を立てていたのだった。

「何でなんで?何で断っちゃったの?彼女、けっこう可愛いじゃん」
「別に・・・、何でって言われてもなぁ」
「なにそれー」
「っていうか、秋人の好みってどうよ」
「駄目だよ~、二人とも。秋人にはちゃんと、梶谷夏美っていう想い人がいるんだから。な、秋人」
「ば、そんなんじゃねぇよ」
「う、そだー」
「違うって。あんな生意気でぶすで可愛げのない奴なんて、全然好きでもなんでもない」

 その言葉は、鋭利なナイフか何かのように、夏美の心に突き刺さった。

 一瞬の沈黙を、夏美の手からずべり落ちた傘の柄が劈いていった。ガターン、と盛大な音が響いた。

「へ?誰?」
「夏美・・・?」

 秋人の声。しまった、と思うよりも先に、頭の中が真っ白になった。夏美は、落ちた傘を拾って、一目散に駆け出した。階段を一段飛ばしで駆け下りて、下足室へ出たところで、夏美はパタリと走るのをやめた。頭ががんがん響いて、馬鹿みたいだ、と夏美は思った。どうして、逃げるようなまねをしてしまったのだろう。こっちからだって、思う存分あることないこと、言ってやればよかったというのに。夏美は四角く並んだロッカーにもたれかかった。雨なんて嫌いだ、そう思いながら、のろのろと靴を履き替えた。

 彼らが追いかけてくるはずもないと知りながらも、夏美はちらちらと階段の向こうに視線が行くのをとめることができなかった。こんなことなら、走って逃げなくたって、よかったのだ。ただ格好が悪いだけで、心の中の大切な場所に救いようのない空洞ができたような、心許ない心地がした。夏美は無性にやるせない気分で、だらだら歩いて玄関に出た。ああ、雨が降っている。しとしと、まるで世界を塗りつぶし、覆いかぶさってしまおうとでもするかのように。夏美は灰色の空を見上げた。傘をさすことも忘れて、歩き始めた。

――あんな生意気で、ぶすで可愛げのない奴なんか、全然、好きでも何でもない

 たぼたぼ歩く夏美の髪の毛と両肩を生ぬるい雨が容赦なくぐっしょりと湿らせた。怒りや憎しみといった感情は不思議なくらい沸いてこなかった。ただ、こんな雨の日にこんな気分で、こんなところを歩いているということそれ自体が、なぜだが無性に情けなかった。夏美は振り返る。いつの間にか、もう随分と遠くへ行ってしまった校舎が見えた。冷たい雨。このまま、私が溶けて、消えて、無くなってしまうまで降り続けば良い。そう思った。




 あれから五年もの月日がたった。

 時々、夏見のことを見る秋人のひとみに憂苦の色が浮かぶのを、夏見は見る。それは夏美を責めているようであり、許しを請うているようにも、夏美には見える。それでも、どうしろというのだ、と夏美は思う。もし秋人がもっと直接に、夏美のことを叱ったり、罵ったりしてくれれば、それだけで随分夏美は楽になることができただろうに。夏美は、そのことについて考えるたびに「むなしい仮定だ」と脱力感で一杯になる。そんなことができるのであれば、秋人だってとっくの昔にやっているはずなのだから。それをするには秋人は少しばかり不器用で、夏美には少しばかり、素直さがかけているのであった。

 ああ、いったい私は今まで何をやってきたのだろう、とベッドの上で仰向けのまま、夏美はいつもの問いを繰り返した。今更、自分の気持ちにやっと気付けたところで、もう何もかもが遅いのだ。わけもわからぬ嫉妬に駆られ、祥子と秋人の仲を割き、好きでもなんでもない男の子たちと付き合った。別に自暴自棄になったわけでも、秋人の苦しむ顔が見たかったわけでも、ないと思う。でも、そうすることで何かが劇的に変化してくれるのだ、と愚かしくも信じている自分どこかに生息していて、それをやめさせてはくれないのだった。そんな風にして過ごした日々は、孤独と後悔と、自己嫌悪ばかりが連なった、何とも辛いものだった。夏美は泣いた。どうにも月明りが眩しくて、ケイタイもメールも繋がらない孤独な夜には、ベランダの窓を閉め切って、階下に泣き声が洩れないように、声を押し殺して静かにないた。そんなときでも、ベランダ越しに柔らかい光が秋人の部屋から洩れているから、それがどうしてもいけないのだ。

 どうして、人は人を好きになったりするのだろうか。どうして私は、嫉妬心などという醜い感情を持ったまま、生まれてきてしまったのだろうか。病室のベッドの上で寝転がり、うだうだとそんなことを考え続けている夏美の目には、遠く、窓の向こうの青空が映っている。ああ、あのころに戻りたい、と夏美は思った。どうやったって、もう元には戻れないことぐらい夏美にだってわかっていることなのに、それでもそう考えずに入られなかった。ああ、あのころに戻りたい。突き抜けるような夏空の下を、泥にまみれて転げまわっていた、あの頃に。

――だって、全部アキのせいじゃん

 そう心の中で呟いてみて、その言葉の響きがあまりにも情けなかったから、思わず呆れた。そうやって自分をごまかしたところで、結局は何も変わらないのだと気付いてしまって、ため息が洩れた。手を伸ばしたって、届くはずもないものなのだ。最初から諦めておけば、手を伸ばさなかったら。

 そう考えて、泣きたくなった。こんなことなら初めから、悪足掻きなんてしなきゃよかったんだ、とそう思った。

続く
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by sinsekaiheto | 2007-08-29 17:39

不器用な恋の終わりに(4)


 続き・・・(前々回の更新からの続きです)




 いくつも、いくつも夢を見た。

 短い夢だ。小さい頃の自分がいて、秋人がいて、雨が降っていて。二人は、ボールを追いかけながら、遊んでいる。短い夢だ、けれどどこか懐かしい夢だ。

 永遠に、この夢から覚めなければいい、と思っていた。頭の、どこか醒めている部分が、絶えずそういう信号を体の中に送り続けているかのように、夏美の身体はどこか落ちつかず、それを愉しんでいるような自分もまた、体のどこかにいるのだった。

 短い夢は唐突に終わり、目を覚まして気がついてみると、やはりベッドの上で横になっていた。まず初めにやけに清潔そうな白い天井が目に入り、その後に消毒液のにおいが鼻についた。助かったのか、と思った。夏美は、軽く息を吐き出した。

 昨日の雨が晴れて、窓ガラスの向こうには憎たらしいほどの晴天が広がっている。ベッドの上に身を起こしたら、その途端に全身を針で突き刺されたような鋭い痛みに、息がつまった。顔が歪んだ。浅い息を吐いて、目を閉じ、ベッドの端にもたれかかった。全身が痛い。痛くないところを探すほうが難しいかもと思えてしまうくらいに、痛い。ただ、頭だけは正常で、絶えず自分と自分を取り巻く環境とに呪詛の言葉を吐き続けていた。これも、夢の続きか、何かだったのならよかったのに、と。

 目を開いて、改めてあたりを見渡してみると、夏美のほかにベッドに寄りかかるもう一人の少女の姿があった。その少女は夏美と目が合うと、にこりと愛嬌のある笑みを浮かべた。夏美も、おずおずと笑顔を返す。知らない娘だ。年は夏美と同じか、それよりも少し幼いくらい。可愛い子だった。けれど、その愛嬌のある微笑みにどこか物憂げな色が混ざりこんでいて、その少女は今にも消えてしまいそうな感じに、淡く頼りなく見えていた。

「気がついた?」

 その少女は、夏美のほうをむいて、そう尋ねた。夏美は「ああ」とか「うん」とか曖昧な言葉しか、返すことができなかった。この子、誰なんだろう、と夏美は思った。頭に巻いた包帯以外は、彼女が病人だということを示すものはなく、「気付いたらベッドの上で眠っていたの」と言っても「ああ」と納得させてしまいそうな、そんな雰囲気を彼女は持っていた。夏美の目には、そのくらい彼女がこの部屋の空気に馴染んでいないように、感じられたのだ。

「事故にあったって聞いたけど、怪我とか、大丈夫?」

 彼女がじっと、夏美のことを見つめていた。夏美は、何も考えずに、首だけを縦に動かした。頭までががんがんと痛み出してきて、まったく何かを考えるという行為そのものが、馬鹿馬鹿しく思えてきた。

「そっか。よかった。あ、ねぇ、名前はなんていうの?」
「・・・夏美」

 それだけ答えると、夏美は目を閉じて、ずるずるとベッドの中に沈みこんでいった。きっと疲れているに違いないのだ、と夏美は思った。人生なんて思い通りに行かないことの連続で、少しばかり努力したって、何も変わらないことばかりだから、目を閉じて何もかもを投げ出したいと思う事だって、あるのだ。だから、私は今、疲れているとそう思う。

「夏美か、いい名前だね」

 そんな月並みな言葉を期待していたわけでは、もちろんなかった。そんな言葉を簡単に口に出してしまえるその少女に、わけのわからない、嫉妬と嫌悪の入り混じった醜い感情を、抱いていた。だから、夏美は何も答えない。ベッドの中で、夏美はいつまでも意固地な沈黙を、保っていた。

――暫く、一人にさして、くれないかな・・・

 その言葉を誰に言えばいいのか、夏美にはわかっていなかった。いや、その言葉通り、本当に一人になりたいのかすらも、夏美にはわかっていなかった。ベッドの中に横になったまではよかったけれど、その言葉の持つ甘美な響きが、多分夏美を今よりもっと雁字搦めにしてしまうから。吐き出せない言葉が山のように心の奥を占めているというのに、一向に前に出てきてくれず、困ってしまった。夏美はぼんやりと天井を見つめた。思わず、泣き出したくなってしまった。メランコリーなんて、あたしには全然似合わないって知っているのに。それでも、自分の心の中のもやもやを、夏美はどうすることもできないのだ。

「ねぇ、あたし、どっか別のところに行っておいたほうか、いいかな?」
「え、なんで?」
「なんとなく、一人にさせてほしそうだったから」

 夏美は驚いて、身体を起こした。少女の顔をまじまじと見る。まるで心の中を覗かれてしまったような気恥ずかしさを、夏美は感じた。少女は少し、ほんの少しだけどこか寂しそうな笑顔を浮かべて、ベッドからでた。「あ」と夏美は声を出した。何か言わなくては、と思ったのに何を伝えていいのかわからずに、結局、

「いてよ。・・・ここに、いて」

 切れ切れになったその想いだけが、言葉になった。そんな物憂げな、そしてどこか切ない横顔を見せられたなら、多分誰だって私と同じような気持ちになるに違いないのだ。彼女はきっと私なんかより数倍傷ついていて、苦しんでいるのだ、と夏美は思った。少女のその物憂げな表情の中に、彼女が抱えている悲しみや苦しみを垣間見たような気がして、夏美は暗澹たる気分になった。夏美同様、きっと彼女も心の中に暗い虚空を持て余しているのだ、と夏美は思う。自分では決してどうすることもできない種類の、強い心の暗闇を。

 少女は、暫く黙って夏見の姿を眺めていた。夏見は少女の視線から、目を逸らした。心の中がずきりと痛んだ。わけもわからずに苦しくなって、また頭の中ががんがんと痛みはじんた。彼女は、もしかしたら、私に助けを求めているのかもしれない、と突然そんな突飛な考えが頭に浮かんだ。私には無理だ、とそう思った。ふーと息を吐き出したら、何か切ない気持ちになった。今であったばかりの少女にそんなことを思うだなんて、なんか変だ。やっぱり私は疲れているのだ。

「どうしたの?」
「え、何が?」
「だって、今なんかすごく悲しそうな顔してたから」
「・・・そうかな」

 夏美は、曖昧な笑みを顔に乗っけた。自分が何に対して苦しみ、悲しんでいるのかということが、夏美にはまるでわからなかったから、曖昧な笑みを浮かべてお茶を濁すしか、なかったのだ。

 夏美は過ぎ去った日々のことについて、考えている。

 それは時に強迫観念か何かのように、夏美の心を支配しては、絶えず彼女をぐらぐらと揺さぶっていく。そんな時夏美は自分の頭の中で蘇る懐かしい思い出たちの中に、溺れてゆく。自分が何か、言葉では言い表せない大切なものを失いかけているのではないか、と不安になる。あるいは、夏美はもう既にその何かを失ってしまっているのかもしれなかった。出会いと別れを、嫌というほど繰り返した。今はもう、会いたくてもあえなくなった人も、たくさんいる。そんな苦い後悔にも似た感情を山ほどつんで、夏美はここまで来たのだった。

「何か最近、眠るのが恐くてさ」
「え?・・・なんで?」
 
 少女が驚きの表情を浮かべている。夏美は静かに首を振った。「・・・いや、やっぱいいや、なんでもない」夏美は、息を吐き出した。少女は不安そうな目で、夏美のことを見つめていた。いや、なんでもないなんて、ただの嘘だ。そんなことぐらい、少女も簡単に見破ったろう。最近、夜眠るのが恐くなった。だから、少しずつ夜がやってくることさえも、恐い。目覚めたら、自分が自分ではなくなっていて、何で考えるだけでも恐いから、眠りに落ちた後、夢の世界の中でさえも、朝が来るのがとても恐い。

「夜は、ちゃんと眠ったほうがいいよ」

 少女が言った。そんな言葉が返ってくるなんて考えもしないことだった。夏美は少女の姿をちらりと見遣った。目が合うと、彼女はどこかに哀愁を漂わせた彼女独特のやり方で、夏美に笑顔を向けていた。ずっと笑っている子だな、と夏美は思う。それも、本当に心の底から笑おうと思ってやっているのではなく、どうして良いのかわからないから、取り敢えず笑っておいたような、そんな笑顔だ。

 何かがおかしい、と夏美は思った。言葉にして言い表すことは困難だけど、何かが、どこかがおかしいのだ。彼女が時折見せるさびしげな表情と、困ったように浮かべる笑顔とが、彼女の輪郭そのものを危うく見せてしまっているような気がした。「どうしたの、大丈夫?」と彼女は尋ねるが、あたしよりよっぽど大丈夫じゃなさそうだ、と夏美は思う。

「ねぇ、何で入院してるの?」

 夏美は尋ねた。夏美は尋ねた。頭に包帯が巻かれている、ということを除けば、彼女は充分健康体に見えたのだ。

「・・・事故にあったんだ」
「事故?」
「そう。どうしようもないくらい、つまんない事故にね」

 彼女は笑った。夏美は少女の中の虚ろにふれたような気になった。そこはあまりにも暗くあまりにも荒涼として、ティーンエイジャーの少女が持つ華やかさとは、あまりにもかけ離れているものに、夏美には思えた。

「夏美ちゃんも、交通事故だったよね」
「あたしは・・・」

 夏美は言葉に詰まって口をつぐんだ。なぜだか秋人の顔が頭の中に浮かんでいた。まだ小学生だった頃の、泣き出す直前のくしゃくしゃに歪んだ顔だった。あの顔に、私は誰よりも弱かったのだ。夏美はそっと目をとじる。どこかで、まだ泣いているのかもしれない、と夏美は思った。あの頃の「泣き虫秋人」はいったい今何をして、何を考えているのだろうか。

 あれから一度だけ、お見舞いに来た。「事故にあったんだって?ドジだな」なんて笑っていたから、あんたのせいだよ、とは死んでも言えないと思ってしまった。そして、そのことを伝えられない自分自身が、あまりにも不器用で、情けなかった。

 目を開いた。病室の窓から見た狭い窓には、茜色の空が広がっている。

「あたし、ジュース買ってくるよ。夏美ちゃんも、何か買ってあげようか?」
「いい、いらない。あんまりのども渇いてないし」

 少女の言葉に夏美は答えた。少女は小さく頷いた。病室を出るときに少女はまた夏美のほうを見た。今度は口を開くことなく、じっと夏美のことを見つめている。夏美は「どうしたの」と彼女に尋ねた。少女は首をふる。「なんでもない」という答えが返ってくる。

「ただ、ちょっとね。昔のことを、思い出してね」

 そう呟くと少女ははっとなって口をつぐんだ。それ以上、彼女は何も語らなかった。夏美も、会えてその先を尋ねることはしなかった。今はまだ、この少女の中の思い虚ろに触れたくない、と思っていた。

「じゃあ、行ってくるね」

 少女はそういって、病室を出た。夏美はベッドの中にずるずると引きずり込まれていった。窓の外に広がる赤は、いつの間にやら黒色を孕んで、不穏な情景をかもし出していた。夏美は目を閉じた。もし、神さまというものがこの世界にいるのだとしたら、何も考えることのない安らかな眠りを彼らがもたらしてくれればいい、と夏美は祈った。


続く
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by sinsekaiheto | 2007-08-26 07:07

小学生の頃の思い出

 最近、よく小学生の頃の思い出を思い出そうとするが、記憶力のほうに問題がある私では、それに当たる物がよく思い出せない、なんてことをうだうだと考えているうちに、なんとなくおぼろげにだが思い出してきたので、それをつらつらと書き連ねたいと思う。

 さて、小学一年生の頃のことははっきり言って何も覚えていない。やはり記憶力のほうに問題があるのか、それともよほどボーとした生徒だったのか。

  ここで、とても大切な小学生のことの自分を知る資料が残っている。題して、「1年2組 31のお話」だ。
 
 この物語は、私が小学一年の頃に担任だった先生が一人に一話、クラスの一人一人を主人公にしたお話の読み聞かせを行いそれを本にまとめたという物語だ。と、いう事はもちろん私を主人公に書いたお話もあるということで、これがまた可笑しい。いや、別に可笑しくはないのだが、でも、明らかにその主人公は私ではない。話の内容にここで触れるのはいかがなものかと思いここでは詳しくは書かないが、その先生のあとがきのようなものに、「よし、都会っこの雰囲気まんまんのHOMAには森で元気よく遊ぶお話で・・・」と書いてあった。都会っこの雰囲気満々って、あんた・・・ってな感じだ、今思えば。

 次に小学二年生に上がる。この頃の記憶もはっきりとはしないが、担任の先生がものすごく恐い人だったということは、覚えている。いや、恐いという表現はあまり的を射ていないな、恐ろしかったというよりかは、洗脳に近い感じはあった。
 
 この先生が私達生徒にしたことはといえば、感じの書き取り・読み取り世界一周とか、そういうノリの漢字プリントだったと思う。その漢字プリントで、私は自慢ではないがいつも二位だった。一位だったのは確かKさんかHさんかまあ、どちらかだったかは忘れたけれど、そのどちらかだった。いつも二位だ。つまらない、と思った私が先生にそれを告げると、「上には上がいるのよ」なんて涼しい顔をして言われてしまった。トラウマである。そんなこんなで、私の漢字嫌いはここから始まっただろうと推測される。さて、その漢字プリントに出てきた漢字の読みにこんなものがあった。 「細かい」 うん。小学二年生で読める漢字では、間違ってもないね。その辺の小学二年生を捕まえて聞いてみたら良いと思うが、きっと答えられないと思う。いや、答えれたらごめんってことで。
 
 次に、私は小学三年生になるのだが、その頃の記憶といえば、残念ながら、あったね。まず、その頃から始めて加わった社会、という教科に私は戦慄した。所謂「日本地理」とい奴である。「私達が住んでいる町ってどこかな、色を塗ってみようらんらんらん」とか言うノリの、あの恐ろしい教科である。
 
 私は、この時点で既に地図音痴、だった。地図といえばぐちゃぐちゃで、どこに何が書いてあるのかが、まったくわからなかった。それはきっちりと今にも引き継がれている。それなのに、高校の社会の選択で「地理」を選択してしまった私は、ただのあほである。
 
 小学三年生といえば、悲しい思い出が。当時少しだけ思いを寄せていた女の子が例に洩れず隣の席に座っていて、わぁーい、毎日がパラダイス、とかまあ、そんな感じだったと思う。

 そんなある日、そのこと大喧嘩をした。筆箱を引っ張り合うという大喧嘩である。しまいには、ペンが宙を飛ぶわ、鉛筆が旅に出て行方不明になるわで大変だった。それっきりその女のこのことは嫌いになった。早すぎである。

 そんなこんなにして、私の小学生低学年時代は過ぎていった。一時間程度で書き切れてしまう小学生低学年の時代ってどうよ、とか思いながら、次は小学校四年生だな、とか思ってみたりもする。

 そんなこんなで、小説のほうが進みませんが、多分次回また戻ってきます。「不器用な恋の終わりに」・・・今度は視点を変えて夏美偏です。よろしくどーぞ。
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by sinsekaiheto | 2007-08-23 15:06 | 日記

不器用な恋の終わりに(3)


 続き・・・


 例えば、自分たちが幼馴染なんかではなくて、もっと別な形で出会えたとしたら、事態はこれほどまでに屈折したりはしなかっただろう、と秋人は思う。幼馴染なんて、世間で騒がれているイメージなんかよりもずっと情けなくて、つまらないもので、相手が夏美みたいな女の子だった暁には、幼馴染をやっていること自体、放り投げたくなってしまう。何か問題があったとすれば、その原因は大抵夏美のほうにあるというのに、夏美はそのことを知ってか知らずか、また次々と新しい問題を作り上げては、秋人のことを困らせるのだ。

 自分の部屋に戻って秋人はベッドの上に倒れこんだ。ぐるぐるとさまざまな考えが頭の中で回転していて、秋人が目を瞑っても、なかなか消えてくれなかった。仰向けになって、天井のしみの数を一つ一つ数えていった。そんなことをしているうちに、もうどうにでもなれ、といつもの怠惰な自分が顔をのぞかせて、秋人は枕を抱えたまま、横になった。ふと視界に入った写真たての中の少女が、懐かしい笑顔で笑っていた。

 田辺祥子は中学二年生のときまで秋人が付き合っていた少女だった。口角がきゅっと上がる愛嬌のある笑顔が好きだった。写真の中の少女はあの頃の秋人が好きだった笑顔のままで、笑っている。秋人はその写真から目を逸らしたくなって、歩いていって写真たてを伏せてしまった。思い出したくはない、と思っていた。いっそのこときれいさっぱりと忘れてしまって、全てなかったことにしてしまえば、いくらか秋人も楽だろうけど。あの頃の写真すら捨てられずに律儀に残してある秋人には、もとよりそんな選択肢など、なかったのだ。

――秋人って、そんな人だったんだ。最低!

 あの日の出来事が、秋人の中に鮮明に蘇っていた。ハァ、と息を吐き出して、何か今日は嫌な気分だ、と心の中だけで呟いてみたりした。一日にそう何度も田辺祥子のことを思い出すなんて、その証拠だ。秋人は自分の部屋の、ベランダへと続くガラス戸を開けた。降り止んだばかりの雨の匂いを孕んだ風が、さぁーと部屋の中に流れ込んできて、カーテンを揺らす。揺れるカーテンを眺めていると、秋人は思った。全ては、夏美のせいなのだ、と。

 それは今までにだって、何度も考えたことだった。今更、いちいち取り出して確認するまでのことでもないのだ、と思った。風が強く吹き込んで、部屋の中のプリントが数枚、ひらりひらりと舞い踊った。秋人はベランダへと出て、外側からガラス戸を閉めた。ベランダから見下ろした夜の街。この街は多分、何かを考えるためには多分、明るすぎるのだと秋人は思った。

 全ては、夏美のせいだ。秋人と祥子が別れる原因を作ったのも中学二年の二学期まで秋人の一番の親友だった直明との間に救いようのない溝を作ったのも、すべては夏美なのだった。秋人は、短く切った首筋に、夜風が当たるのを感じていた。今頃、夏美は何をしているのだろうか、とふと思った。ぎしぎしいう手摺りにもたれかかってみた夏美の部屋には、明かりが灯されていなかった。湿ったアスファルトを塗りつぶした黒の上に、冷たい暗闇がどこまでもどこまでも、続いていく。こんな夜中に、いったい夏美はどこへ行ってしまったのだろう、と秋人は思った。

――秋人って、そういう人だったんだ。

 また、田辺祥子の声が秋人の中に侵入してきて、仕切りとあの頃の出来事やそれに付随する感情なんかをちらつかせては、彼の中から離れなくなった。初めて女の子に頬を引っぱたかれたときの痛みが、蘇った。あの時は、自分のあまりの情けなさに、祥子の後を追うことも忘れていた。まるで、脳がすっかり活動をやめてしまったかのように、まるで頭の中に純白のミルクをたっぷり浴びせかけられたかのように、ただ呆然として、突っ立ていただけだった。

――なんであんなことしたんだよ。
――なんでって、別に理由なんかないよ。
――理由もないのに、お前は秋人とキスするのかよ、夏美!
――そんなこと、直明には関係ないじゃん、あたしの勝手じゃん。ほっといてよ。

 こんな夜に、こんな風に、昔のことを思い出してはその感傷に浸っているなんて、格好悪い。みっともない。こんなにも夜風は澄んでいるというのに、こんなにも月明りは透き通りそうなほど清いというのに。

 夏見のことを思い出していた。あの頃、夏美と直明は付き合っていて、祥子と秋人も付き合っていて、二人の見ている目の前で、夏美が秋人にキスをしたのだ。ただ、それだけのだった。ただそれだけのことだった。

 だから、すべては夏美のせいなのだ。

 祥子がつかつかと歩み寄ってきて、秋人の頬をバシリと叩いた。「秋人ってそういう人だったんだ、最低!」祥子が言った。秋人は祥子のひとみから涙が流れて、頬を滑り落ちるのを見た。祥子は涙を拭いて、ものすごい目で秋人を睨みつけたと思ったら、くるりと踵を返して走り去ってしまった。秋人は、何が起きたのかを理解することで手一杯で、脳の中の司令塔が麻痺してしまっていて、何かまとまった行動をとることもできなくて、追いかけなくては、と思ったときには、もう祥子の姿が見えなくなった後だった。

――なんであんなことしたんだよ、夏美。

 直明が夏美の肩を揺さぶって、そう問いただしていた。夏美は小さな子どもがそうするように、いやいやと首を振って、直明の手を払いのけた。

――そんなこと、直明には関係ないじゃん。

 夏美の言葉に、直明は心底傷ついた顔をして、黙り込んだ。痛い沈黙が、重たい空気が秋人を息苦しくさせた。走って逃げたかった。今すぐここから、走って逃げ出してしまいたかった。どう足掻いたって事態はまずくなる一方で。ああ、いったいどうしてこんなことになってしまったのだろうか。秋人からは夏美の表情は見えなかった。真っ直ぐに彼女の目を覗き見ることも、秋人には恐くてできなかった。

 そして直明は、秋人のことを睨みつけて、言うのだ。

――秋人、もう絶好だからな。

 その言葉だけを言い残して、直明もまた二人の下から走り去った。秋人は彼の後を追うことをしなかった。追いかけて、追いついたとしても、いったい彼の前にどんな表情をして、どんな風に声をかけていいのかもわからなかった。秋人はただ力なく佇んで、空を見上げた。この場所から見えるこの街の空はあまりにも小さい、とそう思った。

 三年、という月日がいったいどれくらいのものなのかが、正直なところ秋人にはわかっていなかった。

 けれど、確かにそれだけの長さの月日があの日からの二人の間に等しく積もっていったのだ。秋人にも、夏美にも。

――だって、全部アキのせいじゃん。

 いつか夏美が言ったその言葉は、今でも秋人の心の中に澱のようになって沈んでいる。彼の中でいくらそれば存在感を失くそうとも、ふとした瞬間に浮かび上がってきては、秋人に語りかけるのだ。すべては夏美のせいで、でもそれと同じくらい秋人のせいでもあるのだと。





 ガラス戸の向こうから、ケイタイの着信音が聞こえてくる。秋人は部屋に戻って、ガラス戸をぴたりと閉め切った。ケイタイの液晶には、前川加奈江の名が表示されている。なんだろう、と思って耳に当てると、普段よりもずっと緊迫した加奈江の声が、ケイタイを介して秋人の耳に飛び込んできた。

「秋人、すぐ来て!夏美が事故にあったの」


続く

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by sinsekaiheto | 2007-08-17 17:11

不器用な恋の終わりに(2)

 
 続き・・・。

 

 息を吸って、そろそろとドアを横にスライドさせた。中に入ると、音に気付いた何人かの視線がばらばらと秋人に向かって投げかけられたが、すぐに皆無関心を装って自分の手元の漫画やら雑誌やらに視線を落とした。机の上にはピンクのカバーのかけられた文庫本やらなんやらが散乱していて、独特の雰囲気をかもし出している。埃と、消毒液のにおい。眼鏡をかけた賢そうな少女が二人、額を寄せ合って何かをひそひそと話し込んでいた。

 保健室というのは不思議なところだ、と秋人は思う。実際、保健室だけは、学校のほかのどの部屋からも切り離された場所だと感じることが確かにある。謎めいた空気、秘密のおしゃべり。そんな感じだ。秋人はこの部屋のもつどこか憎めないその空気が少しばかり苦手だった。

「あれ、秋人どうしたの?」

 ベッドを区切っていたカーテンがシャー、と開いて髪の長い少女が顔を出した。秋人は救われた思いでその少女のもとへと歩いていった。前川加奈江。彼女は、秋人と同じクラスの女の子だった。

「メールが来たんだけど、夏美いる?」
「ああ、なっちゃんね。寝てるよ」

 加奈江が指差したベッドの先に、すやすやと寝息を立てる夏美の姿があった。幸せそうな寝顔に、思わず「眠れる森の美女」なんていう場違いな言葉が浮かんできて、秋人は慌ててそのイメージを頭の中から追放した。「眠れる森の美女」なんて、一番夏美からは遠い言葉だ。いくら待ったって、王子様は来ない。そう思った。代わりにこんなところまでのこのこやってきてしまった自分自身に、情けなさを通り越した呆れを感じた。いままで、散々二人のことを繋げてきたポケットの中のこのケイタイも、こんな自分に冷たい嘲笑を浮かべているだろう。大いに嘲ってくれりゃいい。そう思った。秋人は、ベッドの傍に放置されていたいすの上に反対側から腰を下ろした。

「大変だねぇ、いろいろと」
「ああ、まあね」

 加奈江は夏美の寝顔を見つめて、くるくると夏美の髪を弄んでいた。秋人は腰掛けたいすの背もたれに頬杖をついて、そんな二人を眺めていた。暫くすると、加奈江は振り返って秋人をみた。視線が合って、なんとなく気まずくて、秋人は加奈江の視線から、目を逸らした。

「どういう関係なのかな、二人は」
「別に・・・、何も」
「ほんとう?」
「ああ、本当だって」

 秋人の返答に、加奈江はチラッと何かを言いたそうな視線を向けた。だが、秋人がそれに気付かない振りをしたからか、結局彼女は何も言わなかった。不自然すぎるくらいの沈黙が落ちていて、もちろんここは保健室だから静かなのに越したことはないのだが、それでも沈黙というのはやはりどこか落ち着かない。窓の外に広がる景色。風が吹いて、木々の緑が忙しなく揺れ動いているというのに、木の葉が立てるざわざわという音も、灰色の雲が不機嫌そうに動いた音も、何も秋人の耳には聞こえてこなかった。花瓶に活けられた名も知らぬ花の花弁でさえもまるで呼吸をやめてしまったかのように、作り物めいて見えた。

「さてと」

 加奈江は自らその沈黙を破って、立ち上がった。

「あたしそろそろ行くね、クラブももうすぐ始まるし。秋人はどうする?」
「部活?」
「うん」
「今日は休む。なんかもう、気分じゃないし。部長には具合悪いから休むって言っといて」
「そっか。わかった」

 頷くと、「バイバイ」を言い残して、加奈江はさっきと同じようにピシャリとカーテンをしめて、行ってしまった。後には、秋人と夏美と、数分前までとなんら変わりない静かな空気と、時たまカーテン越しに聞こえてくる女の子たちの笑い声だけが、残されていた。

 夏美は卑怯だ、と秋人は思う。

 いつだってそうだ。自分勝手でわがままで、秋人の言うことなんて一つも聞いたためしがないというのに、よほど一人になるのが嫌なのか、こんな風に時たまメールを送っては、秋人のことを振り回すのだ。だから、夏美が保健室のベッドの上で、こんな風にすやすや眠っているのなんかを見ると、秋人は恨み言の一つでもこぼしたくなる。ああ、やっぱり夏美は卑怯だ。言いたい言葉と伝えたい思いは雪のように連なって、次から次へと止まることも知らずに降り積もる。それなのに、夏美は今も眠っているのだ。「眠りの森の美女」だなんて、笑ってしまう。いくら待ったって、王子様は来ないのだ。そして、それはきっととなりにいる、秋人のせいでもあるのだった。

―――なあ、なんで俺なんだ?付き合ってる奴がいるんだから、そいつのこと、呼べば良いだろう。

 浮気調査だって、今回が初めてのことじゃなかった。告白してきた男の素性を調べさせられたことなんて、もう数えるのも馬鹿馬鹿しいくらい。その度に苦しい思いをさせられて、根も葉もない噂に振り回されて。

 保健室のベッドに身体を起こして、黙り込んでしまった夏美にそう尋ねた。夏美はじっと秋人を見つめた。思わず吸い込まれそうになるくらい深いひとみが、そこにはあった。

夏美は、たった一言だけ、こう答える。

―――だって、全部アキのせいじゃん。

 暖かい春の陽だまりの中の、やはり今とまったく変わらない場所に、あの頃の二人も座っている。今よりも少しだけ幼い表情で、窓の向こうには、雲ひとつない青空が広がっていて。

 夏美は、そう答えたきり、黙り込んでしまった。

 アキのせい、か。

 秋人は、心の中で夏美の言葉を思い出していた。あの頃、まだ高校二年生に進学したばかりの夏美がどんなことを思いその言葉を呟いたのかは、高校三年になった今でもわからなかった。あれから、一年間という気の遠くなるような時間が、皆一様に流れたというのに、自分たち二人の間では、時計の針が怠惰に動くのを止めてしまって、似たような日々の繰り返しが、多分これから先も続くのだろう。それは幸せなことなのか、それとも不幸せなことなのか。きっと、今の秋人にはわからないことがたくさんありすぎるのだ。

「ねぇ、今何時」

 突然、ベッドのほうから声がかかった。秋人が考え事をしているうちに、夏美が目を覚ましたようだった。

「もうすぐ四時。・・・起きてたのか?」
「うん。ちょっと前からね。・・・四時かぁ、一時間近く寝たかな」

 夏美はそういって、伸びをしながら身体を起こした。

「で、なんか体育の授業中に倒れた、とか聞いたけど」
「ああ、あれは嘘。ただの寝不足」
「はぁ、寝不足?」
「そう。昨日ね、数学の宿題をしてたら途中でハイになっちゃって、そのまま勢いで完徹しちゃったんだ」
「なんだよ、それ」

 秋人が呆れてちょっと笑うと、釣られて夏美も、弱々しくだが笑みを浮かべた。冗談が通じてよかった、と安心しているような、笑みでもあった。呼び出されたから来たって言うのに、これだもんな、と秋人は思った。

「あ、雨だ」

 夏美が呟いて、窓の向こうで指差した。秋人は立ち上がって、窓のところまで歩いていった。ガラス窓の向こうには、灰色の湿った雨雲が遠くの空まで広がっている。鍵を開いて、窓を横にスライドさせた。雨の匂い。秋人は突き出した腕に、ポツリポツリと春の雫を感じていた。

「あ、思い出した」
「え、何を?」
「あの日も、こんな天気だったよね」

 夏美が呟く。秋人は、彼女の言葉を背中で聞いた。

「あの日も、今日のこの天気みたいに、突然曇りだしてきて、雨が降ってた。冒険、とか言って遠くの森まで遊びにいったことがあったよね。ねぇ、アキ、覚えてる?」
「ああ・・・、覚えてるよ」

 秋人は頷いた。雨が段々と勢いを増して、アスファルトの地面を黒く塗りつぶしていった。秋人は腕を引っ込めて、窓を閉めた。一瞬空が白く光って、低い唸り声のような雷鳴が聞こえてきた。

「どうして、あんな奥まで行っちゃったんだろうね。昼ごはんも食べてなくて、おなかも空いてたのに、今さらあとには引けなくなって」

 秋人も、思い出していた。雨の中を歩く幼い少女。秋人は夏美に取り残されまいと必死になって、夏美の背中を追いかけていた。ああ、思い出した。あの頃の夏美のお気に入りだった黄色い靴に泥がついて汚れていたのを。夏美は疲れると無口になる女の子だったから、そんな夏美に声をかけるのも疲れることだったから、秋人は何もしゃべらなかった。夏美も、何もしゃべらなかった。

「なんか、あの頃のことがすごく懐かしい」

 十七歳の夏美が呟いた。あの頃の延長線上に今の自分たちがいるということが、秋人には時々信じられなくなるときがある。あの頃の夏美と、今の十七歳の夏美とが、なかなかどうして一本の線で繋がってくれない。それなのに、今の夏美をあの頃の夏美を、秋人の中ではどうしようもなく夏美なのであった。

 振り返って見たベッドに身を起こす夏見の姿が、秋人のひとみには小さく映る。

「どうしたんだよ。夏美がそんなことを言うなんて、珍しい」
「うん。・・・なんだろうね。最近、なんかおかしいんだ、あたし」
「・・・なんだよ、それ」

 さっきみたいにそう言ってちょっと笑ってみても、今度は上手くいかなかった。痛いと思った。ベッドの上で頼りない視線を自分の手元に注いでいる夏見の姿は、いっそ痛々しいくらいに秋人には思えた。そんな夏美はちっとも夏美らしくないはずなのに、今の秋人では、彼が白馬の王子様になれないのと同じくらい、どうすることもできないのだった。

「ねぇ、秋人。あたしさぁ、最近よく夢を見るんだ」

 夏美は、そんなことを秋人に言うと、またずるずるとベッドの上に仰向けになった。

「夢?どんな夢」
「・・・自分が自分じゃなくなっちゃう夢」

 パスリ、とまくらから空気の抜ける音が聞こえた。秋人はもう一度窓の外の景色に目をやって、ぴしゃりとカーテンを引いた。視界から消えるその一瞬に、眩いまでのいな妻が、空を二つに切り裂いていった。

「夢の中にね、もう一人の自分が出てくるの。それで、あたしに向かって言うんだ。私のために、死んでくれないか、って。どうせ生きててもろくな生き方しないんだから、って。その後、私は首を絞められて、殺されるの。そこで、いつも目が覚める」

 天井を見上げながら、夏美は淡々とそう語った。秋人は、夏美の隣のベッドまで歩いていって、腰を下ろした。秋人の目には、夏美が突然夢の話なんて始めたからだろうか、彼女が今にも崩れて、消えてしまいそうなくらい、脆く儚い、頼りないものに見えた。夏見の話は、秋人には正直よくわからなかったけれど、

「夏美は、夏美のままでいいじゃんか」

 そう思ったから、そのまま素直に口に出した。

「駄目だよ、もう今のままの私なんかじゃ、いられないよ」
「どうしてさ?」
「だって、あたしは罪深い人間なんだもん。悪事を重ねすぎた、自分でもどうしようもない人間なんだよ」

 夏美が言った。秋人には、それが悲痛な叫びのようにも、聞こえていた。

「どうしたんだよ、ナツ・・・」
「・・・本気で好きだった人、いなかったの」

 夏美が呟くのを、秋人は聞いた。

「今まで付き合ってきた男の子たちの中で、本当に好きになれた人、一人もいなかった」
「夏美・・・」
「ねぇ、アキ。あたし、病気だよ。病気なんだよ」

 秋人は、夏見の姿を見ていることが辛くなって、すっと彼女から目を逸らした。息を吐き出すと、思ったよりも吐息を重たくなっていた。もういいや、と思っていた。止まった歯車は動かない。それを動かそうとする気力も根気も、秋人にはない。ただただ、夏美の言葉に頑なに首を振ることぐらいしか、できないのだから。

 夏美が呟いて、ああ、やっぱりと秋人は思う。夏美は後悔しているのかもしれない。それか或いは、こんな雨の日に空を眺めて、人間でいること自体に急に嫌気がさしたのかもしれない。金魚蜂の金魚とか、ウサギ小屋のウサギとか、そちらのほうが、よほど生きるのには楽かもしれない。とにかく、今日はそんな天気で、そうすることくらいの権利なら、あると思った。

 それに、といって夏美の声が先を続ける。

「アキと祥子の仲を裂いたのだって、あたしだもんね。ほんとう、もう極悪人だよ。ろくな生き方しないっていわれても、仕方ないよ」

 しとしと、雨が降っている。雷が鳴って、ああ、多分どこまでのこんな陰鬱な空が続くのだろう。秋人は目を閉じて、そのまま後ろのベッドに倒れこんだ。少女たちの声が聞こえる。その中に、田辺祥子の声が混ざっているような気がしてきて、疲れているんだな、と秋人は思った。


続く
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by sinsekaiheto | 2007-08-14 20:33

不器用な恋の終わりに(1)



 
 不器用な恋の終わりに
 
 日下部邦夫は、嫌な奴だった。

 「傲慢」という言葉を絵に書いたような男だった、と言えばいいのかもしれない。成績はきわめて優秀なのだが、それに反比例するかのように性格も悪く、人を小馬鹿にしたような見下した態度に出るところも、好きになれない。共通の知人に聞いてみたところでも、その評価に変わりはなかった。とにかく、日下部邦夫という男は、そういう嫌な奴だったのだ。

 どこかに走っていく救急車のサイレンが近づいてきて、また遠ざかっていく。秋人は頭のどこかでその残響を負いながら、そっと息を吐き出した。沈黙。じっとりと湿った空気の中には、教科書の本文をそのまま読み上げる教師の声だけが、響いている。かつかつというチョークの音とともに、黒板が白い文字で埋め尽くされていく。秋人はのろのろとノートを取り出して、条件反射のように黒板の文字を写しはじめた。

 ――夏美は、何でまだあんな奴と付き合っているんだろう。

 秋人はそろそろと息を吐き出した。文字を写すという単純作業は、人の思考をいともたやすく別のところに飛ばしてしまえるものらしい。秋人は板書を写す手を休めて、窓の淵に頬杖をついた。教師のおもしろくもない話に付き合って、せっせとノートを汚すような気にはなれずに、秋人は窓の向こうに小さく見えている一年生の教室へと視線を逃がした。五月の風が木々を揺らして、まぶしそうな光の中に、二匹の鳥が飛び立っていった。

 日下部邦夫の取り柄といえば、いったい何が挙げられるのだろうか。

 中庭の景色を眺めながらも、秋人の思考は再びそこに戻っていた。日下部邦男は夏美が今まで付き合ってきた男の中でも、上から二番目くらいに身長が高く、ルックスは人並みか、まあ見ようによっては悪くもないという判断が下せる程度。中学の三年間をテニスに費やして、それなりの成績も残していたという。

 そこまで考えて、急に秋人は馬鹿馬鹿しくなった。やめたやめた、こんなこと。どうして俺が夏美なんかのために、こんな思いをしなくちゃならないんだ?秋人はばさりとノートを閉じた。消しくずが風に飛んで、ざまあみろ、と秋人は思った。けれど次の瞬間にはもう、そう思ったことがとても惨めなことのように思えてきて、秋人は今度こそ何も考えないように、机に突っ伏して目を閉じた。

 ――日下部君が二股をかけてるみたいなの。

 そう言ったときの夏美の顔が秋人の中に浮かんでいた。なんだよ、しつこい奴。そう思っては見たけれど、完全にそれを自分の中から払拭することもできなかった。

 ――そんなこと、いちいち俺に報告するなって。

 その時秋人は、ちょっと笑ってそんなことを言ったのだ。けれど、夏美は笑わなかった。にこりともせずに、真正面から秋人のことをじっと見ていた。睨みつけていた、というほうが正しいのかもしれない。情け容赦のない、睨み方だった。

 ――・・・なんだよ。
 ――ねぇ、それって本気で言ってるの?
 ――何が?
 ――・・・もういいよ。
 
 秋人は、あきれた。夏美は気まぐれな猫のように、いとも簡単にくるりと身を翻し、すたすた歩いていってしまった。ああ、そうだ。秋人は、思い出していた。あの日も、あの空には綿飴みたいに軽そうな雲があちらこちらにぷかぷか浮かんでいて、季節は確かもうすぐ秋で、その空の下を、夏美と秋人で一緒に歩いていたのだった。

 ――浮気調査、して。

 もう一度振り返った夏美の唇が確かにそう動くのを、秋人は聞いた。もううんざりだと思っていた。夏の終わりのどこか投げやりなセミの声が、それでも間断なく大空から降ってきて、さらにその気持ちの拍車をかけた。

 口からこぼれ出たため息は、夏美のもとへと届くよりも先に、セミの声にかき消される。

 ――幼馴染じゃん、あたしたち。
 ――・・・何を今さら。

 秋人は、立ち止まった。近くにある小学校から、子どもたちの歓声が聞こえてきた。二人の影を、永遠の夏のメロディーが、焼き付ける。そんな夏だった。秋人は、どこか懐かしいような、それでいて少し悲しい気持ちになった。昔、多分まだそう遠くもないころに、こんな風にして二人で歩いたことがあったのかもしれない、そう思った。

 ――・・・なんでもない。

 夏美は少し怒った表情で、秋人のことを見上げていた。まただ。そう思って、秋人はそっと夏美から目を逸らした。諦めにも似た感情が、秋人の中を支配していた。夏美の責めるような視線にももう慣れてしまったけれど、何も、何も言い返せそうにない。だから、自分が情けないような、不甲斐ないような。幼馴染なんて、ただそんな役回りだ、とそう思った。

 秋人ってば、何も言ってくれないもんね。

 夏美の言葉が蘇った。いったい夏美は、何を言ってほしかったのだろうか。今さら、今さら秋人が何かを言ったところで、何も変わることなんてないということを、夏美もちゃんと承知しているはずなのに。悩んだ末に、秋人は落ち着きなく言葉を捜して、けれども上手い言葉も見つからず、結局思いを飲み込んでしまうのだ。今さらだった。もう、いろんなことが手遅れで、足掻いてももがいてもいらいらばかりが募るばかりで、いろいろともう無理なのだ。

 こんなときに、秋人はよく並んだ歯車を思い浮かべる。がっちりと縦横斜めを固められ、さびて動けなくなった歯車だ。自分はきっとその歯車たちの端のほうに位置していて、動くに動けなくなった部品の中の一部なのだ、と秋人は思う。しかも他の部品たちが少しでも動こうと必死に手足をばたつかせているのに対し、自分ひとりだけが冷静で、もうどうせ動かないのだなんて勝手に諦めてしまっているような、そんな部品だ。秋人は思う。もとより歯車を動かす力など自分にはなく、神さまから振り分けられた役付けにも、きっと自分の名前はないのだろう。「運命」などという立派で月並みな言葉を借りなくとも、秋人にはそれがわかっていた。

 その歯車の中心部分に、いつも秋人は夏美のことを思い描く。そのことが、他の何よりも雄弁に二人の間の隔たりを物語っている。

 ――秋人はさぁ・・・

 夏美の呟きが、風に溶けた。その言葉の続きを秋人は知らない。知りたくもない、と思っている。

 チャイムが鳴った。教師が授業の終わりを告げて、がたがたとイスが忙しそうに音を鳴らした。

 夏美が、前の席の男子生徒に話しかけられて、おかしそうに笑っている。

 それを見ていたら、少しだけほんの少しだけ、きりの先でつつかれたようなかすかな痛みに、胸の奥がずきりと痛んだ。


     続く
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by sinsekaiheto | 2007-08-09 22:00 | 小説

正夢


 昨日(いや、今日か?)、夢を見ました。焼きそばを作る夢でした。

 しかもその焼きそば、やたらと具が多い。

 覚えているかぎり書いてみると、

 にんじん、しいたけ、キャベツ、ピーマン、豚肉、もやし、ねぎ、心太、パイナップル、りんご、葡萄、桃、などなど。


 これだけの具を入れると、中華なべがいっぱいになりました。ま、混ぜれないではないか。

 しかも、その後にぼちゃぼちゃとお湯を注ぎ込みます。おい、おい。もう既に、焼きそばじゃないに。

 夢はここで途切れています。この後、この焼きそばがどうなったかは、皆様のご想像にお任せして。

 さて、一週間も更新を停滞していたので、少しネタがたまっています。よって、ここは抜粋して、土曜日のクラブの大会、及びその後の花火大会の話でもしたいと思います。


 土曜日は、朝の7時半から練習。試合だからね。

 その後、会場に。ついたときは、8時半過ぎ。


 僕の試合は、第四試合、開会式が終わったほっとしていたら、すぐに出番。


 ちなみに、このときの相手は、どこぞの有名な私立高校の選手。

 強いよ。


 でも、当初の予定よりかは少し健闘し、結局敗退。

 ま、こんなもんじゃろ。


 その後、花火大会へ。

 すごい人、人、人。

 トイレに長蛇の列ができてる。

 しかも、出店があまりない。ちっ。


 その辺で、焼きそばとおにぎりを買って、レジャーシートに座って花火を見ました。

 花火はきれいでしたよ。


 本当に落ちてきそうで。


 じゃ、とまあ、こんな感じで今日はここまで。
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by sinsekaiheto | 2007-08-06 14:22 | 日記