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二人の空に



                     二人の空に

 粟暮村の通りに、灯がともった。
「美春、すごいよ。ほら、こっち」
 遠くで、花火の上がる音が聞こえた。
「幸(さち)?」
 手を引かれて走り出す。村のはずれにある少女の家から、花宮通りへと続く道を走りぬける。
「ちょっと、待ってよ。どうしたのよ、急に。幸」
 幸は満面の笑みを浮かべた。
「旅の人たちが来てるんだって」
「え、うそ!!」
 少女が目を丸くして、二人は再び転がるように駆け出した。
「旅の人」たちが来ているんだ。少女はそんな風に考えて、胸の鼓動が少しずつ、早くなるのを感じていた。旅の人たちが来る。秋はもうそこまで近づいている。あれから、もう一年もたったのだ。すごく懐かしくて、そして少しほろ苦い感情が、少女の中であふれ出していた。
 囃子の音がもうそこまで近づいている。花火が、夕空の中にはじけて散った。並んだ提灯の赤く淡い光が、少女の目の前に広がった。遠くから、太鼓を叩きながら近づいてくる人たちがいる。祭りの夜だった。道の両脇には出店がずらりと立ち並び、金魚を掬って遊ぶ子供たちの姿があった。たくさんの人たちが、華やかな笑顔で歌い、踊り、通り過ぎていく。祭りの夜だ。唐笠の祭りは旅の人たちを歓迎して、一年に一度行われる。
「どうしたの、美春?」
 石段の前で、急に立ち止まった美春に幸が聞いた。
「ねえ、幸。十分でいいから、ちょっとだけここで待っててくれないかな。お願い」
「え、いいけど・・・。誰かと待ち合わせしてる、とか?」
「う、うん。絶対だよ。ここにいてね」
 そういうと、少女はもときた道を引き返した。
 それは、もう一年も前のお話だ。彼があの約束を覚えているとは限らないし、今日はあの場所には現れないかもしれない。でも、美春は確信していた。根拠は無いけれど、あの場所に彼がいるということを。
「刹那!」
 少女は叫ぶ。少年はゆっくりと振り返る。
 これは、そんな少年と少女の物語。


*           一年前            *


「旅の人」たちが来ることは、村で一番仲の良い幸から聞いて知っていた。彼らは毎年、夏の終わり頃にやってきて、秋の初めには去っていく。美春は、なぜ「旅の人」たちが自分たちの村にやって来るかを知らなかったし、そもそも、「旅の人」たちのことについてはまったくといっていいほど何も知らなかったのだが、毎年「旅の人」と言う言葉を聞くと、またあの季節がやってくるのか、と懐かしく思うようになっていた。
 朝日とともに、美春の一日は始まる。粟暮村のはずれに、美春の家はあった。三年前に母が病気で他界してからは、美春はずっと姉の初美との二人暮しである。あの日も、朝早くに起きた美春は、朝に弱い初美をたたき起こして、村のりんご売りの少年から、りんごを買った。
「おはよう。今日もお疲れ様」
「ああ、うん。おはよう」
 りんご売りの少年と挨拶を交わす。彼は名前を正平といった。
「今日はサービスでりんご三つね」
 美春にりんごを手渡しながら、正平が言った。手渡されたりんごはいつもより一つ多かった。
「ありがとう」
 美春はにっこりと笑って、礼を言った。少年はてれたように頭を下げると、「毎度!」と言って駆け出した。美春は朝の眩い光の中に、彼の背中を見送った。
 家の中に戻ると、炊事場で初美がごそごそと朝餉の準備をしていた。美春もそれを手伝おうとしたが、初美にそれを止められた。
「いいんだよ、たまにはさ。あんたは働きすぎなんだから。ほら、あそこに座って、朝餉ができるまで、ボーとしてな」
「姉さんこそ、指切らないように気をつけてよ」
 炊事場の姉に声をかけ、座卓の前に腰を下ろした。
 夏の、セミの、声が聞こえる。
 美春はそぉっとセミの声に耳を傾けた。思えば母が他界してからは、こんな風に何も考えずにすごす時間など、数えるほどしかなかったのだ。
 母が他界してからの三年間。それは長いようで短かった。思えば、もうこんなところまで来てしまった。
 もうすぐ、美春は十四になる。
「姉さん、そういえば旅の人たちが来てるって、幸が言ってたよ。多分、今日あたりに市が安くなるだろうから、私が買い物に行ってこようか?」
 美春がそういうと、初美はコクリと頷いた。
「そうね、もうそんな季節になったのね」
 彼らは毎年、夏の終わりにやってきて、秋の初めには去っていく。初美はしみじみとそんなことを呟いた。
 座卓の上に並べられた料理は、どれも皆美春の好物であった。湯気の立つおみおつけに美味そうな玉子焼き。青菜に焼き魚が二匹。初美の料理の腕は、母親譲りのものであった。
「どう?おいしいかい?」
 美春はほうばっていた白米を飲み込んで、答えた。
「はい」
 初美は嬉しそうに微笑んだ。
「何もそんなに急いで食べることなんて無いんだよ。朝餉が逃げるわけでもないんだからね」
 美春は麦茶の入った器を一気に飲み干した。
「でも、そろそろ市に行かないと・・・」
 市は遠い。今から出かけねば」、帰って来る頃には日が沈んで辺りが暗くなってしまう。それまでには、なんとしてでも家に帰ってきたかった。暗くなると、山賊も出るし、一人で夜道を歩くのは、とても危険だ。
「本当に大丈夫かい、一人で行って。心配だな、なんか」
「大丈夫よ、姉さん。もう何度も通ってきた道なんだし。それに、私はもう十四よ。恵子なんてもう嫁に行ったわ。だから、もう子ども扱いしないで」
 美春は同い年の、村の少女の名を挙げた。
 初美は小さく苦笑をもらす。
「はいはい。わかったから。気をつけていくんだよ」
「はい」
 朝餉を食べ終わった美春は、箸をおいて、「ご馳走様」と手を合わせた。急いで身支度を済ませ、草履を履いて、篠で作ったかごを背負った。背中のほうから、初美の声が降ってきた。
「行ってらっしゃい。気をつけてね」
 美春は振り返った。優しい笑みを浮かべた初美がそこには立っていた。美春も、満面の笑みを浮かべて、初美に言った。
「はい。姉さん」
 元気よく、美春は外に飛び出していった。朝のうららかな空気の中を、駆けていく少女。そんな美春の姿を、初美は静かに見送っていた。


*           市場の朝            *


 村で育った美春は、何だか市の人込みが苦手だった。村の娘たちと一緒に祭りに行ったときにも、いつもどこかで逃げ出したいと思っていた。別に人込みの中に紛れた誰かに後ろから刀で切りつけられるとは思っていないけれども、初美と二人で過ごすあの家のほうが、やはり平和で、自分にもあっていると、美春は思っているのであった。
 夏の日差し、セミの声。止まることをしらない、人の波。市についた美春は、その人の多さに少々うんざりしていた。
 昼間は市が一等こむ時間である。正午より少し前に市についた美春は人込みの中を縫って歩いた。後ろを歩いていた人が、自分の前を早足で通り過ぎるたび、美春はそれを冷や冷やと見送らなければならなかった。篠のかごを抱えるように両手で持った。立ち並んだ出店からは、魚や肉や野菜や、そういったものを売る声が次々と聞こえてくる。
――あ、まただ。
 頭の奥のどこかよくわからない場所が、小さく疼くように痛むのを感じた。どうしてだろうか。市に来て、この人込みの中を歩くたびに、なぜか頭が痛むのだった。
 魚と肉と茶の葉を買って、美春は逃げるように市を出た。小さな篠のかごはそれを入れただけで、もう充分に重くなってしまっている。それを背負って、少し前かがみになりながら、美春は村まで続くなだらかな坂道を、歩いて登った。真昼の太陽がこうこうと美春の背中を照らし出していた。
――うー、やっぱりきつい。
 この坂を登ると、いつも汗だくになってしまう。心の臓がすぐにばたばたと暴れだし、呼吸が乱れる。美春は母のように丈夫にできていない自分を情けなく思った。生前の母は剛気な人だった。二人の娘を女手一つで育て上げ、村の男衆にも一目置かれていた。それに比べて、自分はどうだ。坂を上るだけで息が上がる。力の感じられない、細い腕。それは、美春のコンプレックスでもあった。
 太陽がキラリと照りつけてくる。坂の上にくっきりと、美春の影法師が刻まれる。
 そういえば、私はもっと幼い頃から病気がちだった、と美春は思い出していた。このくらいの坂ですぐに息が上がってしまうくらいなのだから、余り体力も備わっていないのだろう。いつもは姉さんと共に来て、かごも姉さんにおぶってもらっている。姉さんはかごを背負いながらも、この坂をひょいひょい登るから、申し訳なく思うけど、けっこう助かっていたりするのだ。
 美春は黙々と坂を登り続けた。夏の終わり、セミの声。美春の額の辺りから、だらだらと汗が零れ落ちた。風がまとわりつくように暑い。しっかりと刻み込まれた影法師。一人で、坂を歩き続ける。暑い。美春の体にまといつく。暑い。どこまでも、坂が続いていく。暑い。ぎらぎらと太陽が照りつける。
 その時、またあの痛みが美春を襲った。それは先ほどの痛みよりも激しいものであった。頭ががんがんとひび割れるように痛む。美春はふらふらとその場にしゃがみ込んでしまった。美春は喘いだ。頭の奥のどこかよくわからないところが、熱を持ち始める。目をつぶる。熱の中に、意識を吸い取られそうになった。
 歯を食いしばって、痛みに耐えた。目を閉じていると、頭の中が靄で覆われたように白くなって、なぜか目蓋の裏に人影を感じたような気がした。それは少年の微笑んでいる姿であった。
 一瞬が永遠に感じられる。何かに打たれたように、美春は顔を上げた。人影が見える。そこには、その少年が立っていた。
 美春を見て、少年は驚いたような顔をした。彼は、何かを考え込むように、一瞬動きを止めていたが、すぐにしゃがみ込んで、美春に声をかけた。
「どうした。どこか具合でも悪いのか?」
 美春は、どうにか頭(かぶり)を振った。優しそうな人だったけれど、油断はいけないと、そう思った。
「だ、だいじょうぶです」
「ほんとうか?顔が青いぞ。荷を持ってやるから、木陰で休め」
 そう言って、少年は美春が背負っていたかごを自分で持った。竹の水筒を取り出して飲ませ、美春を木陰まで連れて行った。
「大丈夫か?歩けるか?」
「はい、大丈夫です」
 不思議なことに、少年が声を掛けてくれるたびに、頭の痛みが引いていくのを、美春は感じていた。
 坂道を少し外れたところの木陰で、美春は休んだ。木の根元に腰掛けて、竹の葉に包んだ握り飯を広げた。助けてもらったのだし、と美春は少年にも握り飯を勧めたが、「俺はいい」と断られた。昼はもう食ってきたのだ、と少年は言った。
「あんた、名前は何で言うんだ?」
 少年はなんだか面倒くさそうに、美春に尋ねた。
「・・・美春」
 ふむ、と少年は黙り込んでしまった。ぶっきらぼうな感じがしたかもしれないと思い、美春は慌てて付け加えた。
「美しい春、って書くの」
「そうか。美しい春か・・・」
 少年は少し何かを思い出すような遠い目をして、そしてポツリと呟いた。
「いい名前だな」
 美春は照れくさそうに、はにかんだような笑顔を見せた。名前をほめられたことが嬉しかった。
 木陰で休んでいると、さっきまでの暑さが余り気にならなくなった。時々吹いてくる冷たい風に、美春の髪の毛がふわりと舞った。頭の痛みが、いつの間にか消えていることに、美春は気付いていた。今から急いで出発して家に戻らなければ、日が暮れてしまうことにも、彼女は気付いている。けれど、なぜなのだろう。もう少し、こうしてこのままこの少年のそばにいたい、とそんな気がしたのだ。
「ねえ、名前は、なんていうの?」
 美春は、彼に尋ねた。
「・・・刹那(せつな)」
 少年が答えた。美春は、その名前を心の中で繰り返した。
「ねえ、刹那って、旅の人だよね」
「ああ」
 刹那が小さく頷いた。「旅の人」と直接話すのは、初めてだった。「旅の人」と自分たちとを見分けるのは簡単だ。まず、着ている服が違う。美春も詳しくは知らないのだか、彼らは異国の民族衣装のような服を身に着けている。それに、肌の色も少し薄くて、彼らはみな腰に小さな笛のようなものをぶら下げていた。
 美春は、ふと村長の言葉を思い出していた。「旅の人」も、大昔は我らと同じだったのだ、と。いつからか、道は分かれてしまったが、祖国への思いは、今も昔も。変わらないものなのだ、と。
「えーと、刹那は、どうして今日ここに?おつかいか何か?」
「ああ、用事が済んで、暇になったから、ぶらぶらしていた」
「へぇ~、そうなんだ」
 美春は軽く相槌を打った。
「美春は?市におつかいか?」
 美春は頷く。彼は「ふうん」と呟いて、黙り込んでしまった。
 不思議な人だ、と美春は隣に座る少年を見て、ぼんやりとそう思った。受け答えはなんとなくぶっきらぼうな感じがするが、不思議と、それが不快ではない。それに、村の少年たちとも、またどこか違うような気がする。うまく言うことはできないが「大人」なのだと、そんな風にも思う。
「旅の人たちって、世界中を旅するの?」
 少女は尋ねた。刹那は頷く。
「だいたい二週間ぐらいで、色んな世界を転々としている。商売をして、俺たちは生活をしているんだ」
「じゃあ、色んな世界を見てきたのね」
「ああ」
 なるほど、と思った。だからこんな風に大人びているのか、とも思った。
 セミの声が止んで、空に少しずつ陰りが見え始めた。風が強く吹き始める。雨が降るかもしれないな、と美春は思った。握り飯を平らげ、竹の包みをきれいに折りたたんだ。
「美春は、そろそろ帰らないといけないのか?」
 刹那の問いに、美春はこくんと頷いた。
「雨が降ってきたら、ちょっと困るから。それにじきに暗くなるけど、そうなったらもっと困るから」
 だから、今すぐにでも出発しないといけないのに、と頭ではわかっているのだが、それでいても、体が嫌々をするように、動き出そうとしなかった。
 刹那は立ち上がった。そして、美春の心の中の「どうしよう」を読み取ったかのように、言った。
「送って行ってやろうか?」
「え?本当?」
 少女が聞き返すと、少年は笑った。太陽のような笑みを浮かべた。
「今日だけ、特別だからな」


*           誰かの背に            *



 美春は、彼が腰にぶら下げていた笛を吹くところを見た。

「美春は、粟暮村に住んでいるのだな?」
「うん」
 そう尋ねると、刹那は、腰にぶら下げていた笛の紐を解いた。
「本当はいけないことだけど、今日だけは特別だからな」
 そんなことをいたずらっぽく言うと、彼はそれを高らかに空に向かって響かせた。一瞬、美春は、木々のざわめきを聞いた気がした。笛の音は空気を震わす澄んだ清きものだったのだ。
 あまりの美しさに、彼がその笛を吹き終わるまで、美春はただ呆然としていた。不思議な音色だった。まるで、遠い昔の出来事を語っているような、そんな音だった。
「ねぇ、いまの・・・」
「まあ、まて」
 そう言って、刹那は美春の言葉を手で制した。
 何が起きるのだろうか。どこか遠くのほうで鈴の音が聞こえたような気がした。
「刹那・・・?」
 美春が彼の名を呼んだ、そのときだった。
 大気を震わしながらやってくるそれを、確かに見た。美晴は我が目を疑った。鈴の音が聞こえる。白い光に包まれたそれはどこか遠くの空からやってきて、今、二人の目の前に立っている。
 白い光に包まれたその姿は、まるで・・・。
「天馬に乗るのは、初めてだろ?」
 彼が言った。
「てん、ま・・・」
 美春は圧倒されていた。これが、天馬なのだろうか。美しい馬だった。凛々しく、神々しい馬だった。美春は、背に冷たいものを感じていた。その神秘的なまでに美しい姿は、まさにこの世の正しい部分で、美春はそれに空恐ろしいものを感じていたのだ。
「天馬は、昔から神の使者として崇め奉られていたんだ。俺たちの守り神だよ」
 刹那は言った。彼は、天馬の背に飛び乗ると、美春を手招きした。
「ほら、ぼーっとしてないで、早く乗れ」
「は、はい」
 美春もあわてて天馬の背中に飛び乗った。けれど、慣れていないものだから足が滑って落っこちてしまいそうになった。そんな美春を刹那が支えてくれていた。
「あ、ありがとう」
「ああ。でも、しっかりとつかまっておれよ。でないと、振り落とされるからな」
 頷いて、美春は刹那の腰に手を回した。少し恥ずかしかったけれどそれを刹那に悟られたら余計に恥ずかしいと思い、美春はずっと黙っていた。
「いくぞ!」
 刹那が手綱に手をかけると、まるで人間の言葉がわかるかのように、天馬はゆっくりと走り始めた。
「刹那?」
「うん?」
「ありがとう」
「ああ」
 天馬が駆け出した。周りの景色が霞んで見えるほどの速さだった。美春は振り落とされそうになり、あわてて刹那の背中にしがみついた。刹那の背中は大きくて、暖かかった。
「ほれ、粟暮村が見えてきた」
 刹那の声に顔を上げると、遠くに美春の村が広がっていた。でも、それは同時に別れの時刻が近づいている証拠だった。それを思うと、なぜだろうか、美春の心は悲しくなった。
 天馬が駆けた。一足ごとに村が近づいてくる。
 夏の野を、二人を乗せた天馬が、駆け抜けていく。




*           祭りの夜           *


 それでも、美春の生活は、「日常」の域を出ないまま、変わらない速度で、まわり続けていた。朝に弱い初美を起こし、りんご売りの少年と言葉を交わし、二人分の朝餉を作る。夏の風も少しずつ、秋の気配を帯び始め、暑さも少しずつ、すごしやすいものに変わっていった。
 そして、秋が本格的に村へと顔を出したとき、唐笠の祭りが行われた。
 その日、美春は初美からもらった少ない小遣いで、捩じり飴を買った。
 粟暮村の通りに灯がともった。美春は村でも一等仲の良い少女、幸と共に唐笠の祭りの夜を過ごした。幸は美春よりも一つ年下の十三歳の少女だ。兄と弟、父と母との五人で暮らしている。
「ねえ、美春。お団子食べない?私、おなかすいてきちゃった」
 向こうのほうに「団子」と書かれた幟があった。幸はそれを指差して、言った。
「いいけど、私あんまりお金持ってないよ。さっき捩じり飴買ったばかりだし・・・」
「大丈夫、大丈夫。美春の分も私が買ってあげるから」
「いいの?」
「いいよ」
 そう言うと、すぐに幸は団子屋のほうへと人を掻き分けいってしまった。美春も慌てて後を追った。人込みを掻き分けて歩くのは苦手だ。美春は人の波に流されそうになりながら、幸の姿を追って歩いた。
 綿菓子を買ってもらってはしゃぐ子供たち。狐のお面をつけた町の芸人。唐笠の祭りには、実にたくさんの人が訪れる。粟暮村が、一年で一番華やぐときだ。
「おばちゃーん・お団子二つくださいな」
「はいよー」
 幸が元気よく店のおばちゃんに声をかけた。幸は活発で明るい女の子だ。美春はどちらかというと控えめで大人しい性格なので。そんな幸の性格が、羨ましかった。幸は、自分にはないものをたくさん持っている。幸といると、美春はなんだか新鮮な気持ちになれるのだった。
 通りを右に折れたところの石段に腰掛けて、二人は団子を食べることにした。団子は河が香ばしく焼けていて、甘かった。ふたりで、「おいしいね」と言い合いながら、パクパク食べた。
「人がいっぱいだね。幸」
「うん。本当」
 美春の呟きに幸が頷いた。美春はぼんやりと花宮通りを見つめていた。華やかな着物に身を包んだ人たちや、ぽんぽん飛び跳ねる紙風船。菓子の甘い匂いが、ふわりとそこら中に漂っていた。
「すごい。きれいだね。美春」
「・・・うん」
 美春は花火を見ながら、別のことを考えていた。この前あったあの少年のことだった。
――刹那も、どこかで、この花火を見てるのかなぁ。
 夕空の中にとけていく花火を見つめながら、美春はポツリと呟いた。
「ねえ、幸ってさぁ・・・。好きな人とか、いる?」
 幸が美春のほうを見た。彼女の顔が花火の赤に照らされた。
「いるよ」
 幸はまた。通りのほうに目を戻した。その横顔が、何だか照れくさそうに、笑った。
「美春は?いるの?」
「うん。いるよ」
 刹那の顔が頭に浮かんだ。幸が先に言ってくれたので、口に出して言いやすかった。
「でも、もしかしたら、ずっと、もうその人とは会えないかもしれない。会いたくてもね、海の向こうで、異国で、遠いから。だから、向こうのほうに行っちゃったら、もう会えないかも」
 花火がもう一つ、空に向かって打ちあがる。
幸が口を開いた。
「それって、ひょっとして、旅の人、とか?」
美春は幸のほうを見て、それから、小さく頷いた。
「・・・うん」
「そっか。大変だね。美春も」
そんな幸の口調が、何だかおかしかった。
 夏の夜空へと羽ばたく花火が二人の少女の小さな影を照らし出していた。
「気持ちは、伝えたの?」
 美春はふるふると首を振った。
「伝えないの?」
「・・・どうしよう」
 美春はポツリと呟いた。そんな美春を見て、幸が言った。
「勇気だしなよ、美春。今しなかったら、絶対あとから、ずっと後悔することになっちゃうよ」
 幸の言葉に、はっとなった。
「このお祭りが終ったら、旅の人たち、この村を出ちゃうよ」
「わかってる。わかってるけど・・・」
 美春は返答に困っていた。
「私、ここで待っててあげるから。だから、行ってきなよ。」
「幸・・・」
 決断しないといけない。迷っている時間は、なかった。
美春は立ち上がった。そして、振り向かずに、言った。
「ありがとう」
 「うん」と頷いた幸は、きっと優しい笑みを浮かべて、私のことを見守ってくれている。そんな風に、美春は思った。
 少女は駆け出す。
 夏空を、ひときわ大きな花の妖精が、パッと開いた。


*           エピローグ           *


 少年は、去年とまったく同じ場所にいた。
「刹那!」
 少女は叫ぶ。彼はゆっくりと振り返る。
「久しぶり」
 彼が笑った。それは、少女が長い間、ずっと求めてきた笑顔だった。
「約束、覚えてくれてたのね」
「忘れるわけが無いだろう」
 彼がいたずらっぽい表情を見せた。
「うん」
少女は頷く。やっと、二人の時間が繋がったような気がした。
二人はしばらく、打ち上げられる花火をじっと見ていた。
「美春」
「うん?」
 少年が言った。
「好きだ」
「・・・うん」
 少年の腕が伸びてきて、少女の身体をふわりと抱いた。
「ありがとう」
 少女も、ポツリと呟いた。
「私も・・・好きだよ」
 少年の腕に、力がこもる。
 二人の空を、花火が埋める。
 
 そう。だからこれは、そんな少年と少女の物語。

# by sinsekaiheto | 2006-08-30 16:26 | 小説