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いつか、桜の木の下で・・・(3)。

 
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 その後の義時の評判は、すこぶる芳しいものとなった。

 しかっりと礼を弁え、日々剣の鍛錬に励み、一日もそれを怠ることがない。特に馬上から弓を射ることに秀で、その上、まったく奢るところがなかった。安実は、そんな義時に関心の視線を向け、晶子の義時に対する心酔は日増しに募っていった。母の晶子がそんな風だから、菜春も、至極真っ直ぐに義時になついていった。

 この娘は、そのうち、文字通り朝な夕な義時の姿を求めるようになる。朝起きるとまず義時の姿を探し、夜は義時が傍にいないことには眠りにもつかないといった始末だった。

 城中の全てのものが、この二人の幼い恋の行く末を、静かに見舞っていた。

 桜の花が散り、季節は次第に夏へと移ろい過ぎようとしていた。

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 父が、殺される夢を見た。
 
ひどい吹雪だった。視界は瞬く間に白く染まって、一寸先も見えなくなった。義時は迫り来る不安に圧倒されながらも、見えなくなった父の背中を必死の思いで追いかけていた。
 
 駄目だ。父の姿を見失ってしまっては、いけないのだ。

 すんすんと進んでいくと、突然吹雪が降り止んで、視界が開けた。義時は顔を真っ青に染め上げて、立ち止まった。義時の瞳に、父の姿が飛び込んできた。泥濘に足を取られて動けなくなった父の惨めな姿だった。それと同時に動けなくなった父を弓で狙う敵将の姿もあった。駄目だ。ありえない。そんなこと。父上が、殺されるだなんて。

「父上!」

 義時は叫んだ。力の限り。けれど、その声はちょうど吹いてきた風の唸りにかき消されてしまった。

「義平殿、覚悟ぉ!」

 矢が、風を切り裂いて、時が止まったように音が止んだ。どさり、と父の倒れる音がして、それから・・・。

 義時は後ろから近づいてくる人影に気がつかなかった。自分が涙を流していることにすら、気付かずに、切られた瞬間の、あの灼熱のような痛みの中で、意識が遠のいていくいくことだけを感じていた。

 そして、義時は菜春に揺り起こされて、目が覚めたのだった。

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「義時様、義時様」

 声が聞こえる。ああ、菜春か。でも、どうしてだろう。俺はさっき、誰かに殺されたはずなのに。

 意識がしっかりするにつれ、目の焦点が定まってくる。ああ、さっきのは夢だったんだ、と義時は少し安心した。身体を起こして、汗の浮いた額にそっと手をやった。少し頭がくらくらとした。

「大丈夫?」

 義時の顔を、菜春の不安そうな瞳が覗き込んだ。

「泣いてるの?」
「いや、・・・」

 義時は、反射的に首を振った。ごしごしと目をこすって、涙をぬぐう。菜春には、泣いている姿を見られたくなかった。

「ねぇ、恐い夢でも見たの?」
「いや、どうなんだろう。覚えていないんだ」

 菜春の不安が少しでも軽くなるようにと思い、義時は嘘をついた。けれど、義時を見る菜春の瞳の色は、相変わらず沈んだままだった。

「義時様。義時様の不安は、菜春の不安でもあるのよ」
「あ、ああ」
「だからね、菜春も知りたい。義時様の不安も、喜びも、感じていることも、全部。だから、菜春には何を話してくれても良いんだよ」

 義時は何かを考え込むように、少しの間黙り込んだ。

「・・・・・・わかった」
 義時は頷いた。いつしか、菜春の挙措に恥じらいのようなものが現れ始めたことに、ちゃんと義時も気がついていた。菜春は今、全力で自分のことを愛そうとしてくれている。それがわかるから尚更、義時は悲しくなるのだった。

 これから先、自分たち二人に降りかかってくるであろう物事の全容がおぼろげにだが義時にはわかる気がしていた。だから、尚のこと悲しいのだ。こんな、今にも壊れてしまいそうな、そんなちっぽけな恋すらも守ることのできない自分の非力さが、義時には何よりも憎かった。

 そして、義時は菜春に全てを話す決心をする。
 義時は小さく息を吸い込んで、隣にうずくまる少女に目をやった。この少女にかけてみよう、と義時はそう思ったのだった。

「おれ、・・・・・・人質、なんだ」
「ヒト、ジチ?」

 義時はコクリと頷いた。人質、と自分から口に出したとき、義時の胸がずきりと痛んだ。
 
 それでも、義時は話し続ける。

「父上と安実様はの不仲はずっと昔から続いていて、いつ戦が始まっても不思議じゃない状況なんだ。けれど、父上は無駄な戦を嫌う方だから、戦の歯止めとして、俺を安実様のもとに差し出した。
 俺が姫の婿になるって言うことは、安実様と父上が事実上手を結んだということになる。
 けれど、婿だなんて形ばかりの、ただの人質なんだ。いさとなったら、父上を脅す道具として、俺が使える。だから、俺は今、いつ殺されてもおかしくないような立場におかれているんだ」

 菜春は、絶句した。

「そんな、・・・嘘でしょ?お父様が義時様を殺すだなんて」
「・・・嘘じゃないんだ」

 菜春は黙り込んでしまった。顔を俯けて、じっと沈黙に耐えていた。

「すまない、菜春。すまない」
「でも、でも、義時様は、菜春のお婿さんなんだよ。それなのに、それなのに、人質だなんて、そんなの、そんなの」

 菜春は顔を上げた。菜春の表情がくしゃりと歪んで、目じりに見る見る涙の雫がたまっていった。義時は、そっと菜春の肩を抱き寄せた。菜春の頬を流れた涙が筋を作って、はたはたと菜春の着物に跡を残した。

「殺されたりしないよ、義時様は。だって、義時様は、ずっと菜春のお婿さんなんだもの。義時様は、菜春の大切な人なんだもん!」

 菜春が叫んだ。菜春は、義時の胸の中で泣きじゃくった。

「菜春・・・・・・」

 義時が、菜春の背中に手を回した。

 

 その時、菜春はまだ泣きじゃくることしかできないような、子どもだった。その時、義時はまだ、自分の事も守れないような、子どもだった。

 二人の子どもは寄り添いあって、それでも必死に生きようとした。雁字搦めの運命の中から抜け出そうと、精一杯、前へ進むことを諦めなかった。


 涙がかれたら、外にでよう。夜風に吹かれながら、ポツリポツリと、少しずつで良いから、語り合おう。今までのこと、そして、これからのことを。

 目を閉じて、吹いてくる風が頬に冷たい。ああ、冬が来るんだな。義時は、ふとそんなことを考えていた。

 

 季節が廻って、冬が過ぎ、桜が花を開く頃。

 そして、またあの季節がやってくる。         

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by sinsekaiheto | 2007-01-16 12:31