あなたと出会わなかったら・・・(2)
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見上げた屋上の上に、人影が見えた。
赤い空が広がっていた。
悲しいときって、どうしてこんなにも空がきれいに見えるのだろう。
小さくなっていく背中を見送った。
二人乗りのカップルが、ゆらゆらと私の前を通り過ぎる。
どうしてだろう。何もないはずの心の中に、悲しい気持ちが広がっていく。
私は、どうしようもなく孤独なのだ。そう、改めて思い知らされ、他人(ひと)のぬくもりが恋しくなった。
* *
毎朝、七時半に家を出る。
バス停までの道を、ただひたすら走り抜ける。彼は毎日私よりも早くそこに立っていて、毎日笑顔で「おはよう」って言ってくれていた。
あの日から、私は通学路を変えた。
遠くから彼を見るだけでも泣けてくるのに、笑顔なんて向けられてしまったら、たぶん正気じゃいられない。
予鈴の音と共に校舎の中に飛び込むと、同じように急ぎ足の美紀とぶつかった。
「セーフ。いつもなら遅刻ぎりぎりなのに」
「美紀。今もけっこうやばいから」
「大丈夫だって。一時間目、山ちゃんの数学だよ。遅れたって怒られないよ」
美紀はうちのクラスの担任の数学の先生の名前を挙げた。中年になって急に老け込んだらしい彼は、授業中うるさくしたってめったなことでは何も言わない。だから、クラスの連中に、良いように馬鹿にされている。
「あ、勇気だ!ゆうき~!」
そこに、彼がいた。
眠たそうにあくびして、美紀が手を振っているのに気づき、あの頃と同じ、人懐こい笑顔を浮かべた。
いやだな。そんなつもりなんてないのに、思わず視線をそらしてしまった。俯く私。多分彼は、嫌な思いをしているだろう。誰だってそうだ。私は、そんな自分に嫌気がさした。
「眠そうだね、勇気。珍しいじゃん、あんたが遅いなんて。陸上部の朝練はどうしたの」
「休んだ。最近ちょっと風邪気味でさ」
「ほんと、大丈夫?」
「ああ、大丈夫だよ」
そう言って美紀に微笑みかける彼を見ていると、心の奥で何かがずきりと蠢いた。
どうしてなんだろう。こんなにも辛くて苦しいというのに、どうして私は彼に対して、素直になることができないのだろうか。
「ねぇ、チャイム鳴っちゃうよ。早く教室に入ろうよ」
「どうしたのよ、真央。急がなくたって大丈夫だって。次、山ちゃんなんだから」
違うよ。そう言うことじゃないんだ。美紀って、こういうときに何で鈍くなっちゃうのかな。
「あ、そういえば、勇気と真央って、おんなじ中学なんだよね、F市の。どうして何も喋らないの?」
・・・あ、勇気・・・。どうしてよ。
どうして彼は、そんな、悲しそうな顔で微笑むんだろう。
「どうしてかな。前島さんは俺のこと、なんか嫌いみたいだしさ」
そんなことはない。私は、どうしようもなく、あなたのことが好きなのに。それなのに、素直になれない自分が憎い。途方もなく立ち尽くしても、泣き叫んでいるときでさえ、あなたの温もりだけが救いの手のひらだったのに。
まお。・・・まお。
私の名前を呼ぶ、あなたの優しい声が好きだった。その声さえ聞けば、安心することができたのだから。
彼が私のことを、名前で読んでくれることは、もう二度と、本当にもう無いのだろうか。
悲しくなった。悲しくなって、奥のほうから、何か熱いものが溢れ出してきて、困った。
「ちょっ、真央。あんたどうしたの?」
「へっ?」
驚いている、美紀と彼の瞳が、私の中に飛び込んできた。
「真央、泣いているの?」
どうして?あの時、後悔はしないって決めたのに。私の人生は、どうしてこうも、後悔だらけでできているのだろうか。もういやなのに。こんな思いなんて、もう二度としたくなかったのに。
「ごめん。あたし先に戻るね」
笑顔を浮かべよう。今できる、私の精一杯の笑顔を浮かべて・・・。
「ちょ、真央!!」
美紀の声が聞こえる。私は彼女の瞳に背を向けて、あの日と同じ、転がるように逃げ出した。
もうだめだよ。勇気。
あんたを思い出さないようにすればするほど、私の中であんたは大きくなるんだもの。
ずるいよ、あんたは。
あなたと出会わなかったら、どれほど楽に生きれただろう。
少なくとも、こんな思いをしなくてすんだ。
あなたのことが、忘れられない。
あなたと出会わなかったら・・・。
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by sinsekaiheto | 2007-02-03 09:09